うそうだからね。その節は、席を改めまして、が、富士見楼どころだろう。お伽堂の亭主の策略さ。
 そこへ、愛読の俥《くるま》、一つ飛べば敬拝の馬車に乗せて、今を花形の女義太夫もどきで中洲の中二階から、一雪をおびき出す。」
「三崎町へ、いいえさ、地獄変相の図の中へな、ううう。」
「せき込むなよ……という事も出来るし、亭主がまた髯を捻《ひね》って、「先方御|親父《しんぷ》が、府会議員とごわすれば、直接に打附《ぶつか》って見るも手廻しが早いでごわす。久しく県庁に勤めたで、大なり、小なり議員を扱う手心も承知でごわす。」などという段取になってるそうだ。」
 弦光がこの時、腕を拱《こまぬ》いた。
「少からず煩《うるさ》いな、いつからだね、そんな事のはじまってるのは。」
「初冬から年末……ははは、いやに仲人染みたぜ……そち以来《こち》だそうだ。」
「……だそうじゃ不可《いけな》いよ、冷淡だよ、友達|効《がい》のない。」
「頼まれたのは、今日はじめてじゃないか。」
「それにしても冷淡過ぎるよ。――したたかに中洲へ魔手が伸びているのに。」
「私は中洲が煮て喰われようが、焼いて……不可《いけな》い、人道の問題だ。ただし、呼出されようが、出されまいが、喰わそうが喰わすまいが、一雪の勝手だから、そんな事は構っちゃいられん。……不首尾重って途絶えているけれど、中洲より洲崎《すさき》の遊女《おんな》が大切なんだ。しかし、心配は要るまいと思う。荷高の偵察によれば――不思議な日、不思議な場合、得《え》も知れない悪臭い汚い点滴《したたり》が頬を汚して、一雪が、お伽堂へ駆込んだ時、あとで中洲の背後《うしろ》へ覆被《おいかぶ》さった三人の中《うち》にも、青麟の黒い舌の臭気が頬にかかった臭さと同じだ、というのを、荷高が、またお時から、又聞《またぎき》、孫引に聞いている。お時でさえ黄水を吐く。一雪は舐《な》められると血を吐くだろう、話にはなりゃしないよ。」
 弦光は案じ入って、立処《たちどころ》に年を取ること十《とお》ばかり。
「いやいや、そうでない。すべて悲劇はそこらで起る。不思議に、そんな縁の――万々一あるまいが――結ばる事が、事実としてありかねない。予感が良くない。胸が騒ぐ。……糸ちゃん、すぐにもお伽堂とかへ行って。」
「そいつは、そいつは不可《いけな》い……」
「なぜだよ、どうもお伽堂というのは、糸|的《こう》の知合からはじまった事らしいのに、妙に自分を除外して、荷高ばかりを廻しているし、第一、中洲がだね、二三度、その店へ行《ゆ》きながら、糸|的《こう》のうわさなぞをしないらしいのは、おかしいじゃないか。」
「ちっともしない、何にも言わない。またこっちも、うわさなんかして貰いたくないんだよ。」
――(様子を見ると、仔細《しさい》は什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《いかに》、京子が『たそがれ』を借りた事など、女房は、それに一言も及ばぬらしい。)――
「ただ、いかんせん、亭主に高利の借がある。催促が厳しいんだ。亭主の催促が厳しいのに――そこを蔭になり、日向になり、「あなたア」などとその目でじろりと遣るだろう……白肉の柔い楯《たて》になって、庇《かば》ってくれようという――女房を、その上に、近い頃また痛めつけた。」
「誰だい、髑髏かい、竹如意かい。」
「また急込《せきこ》むよ。中洲の話になってからというものは、どうも、骨董《こっとう》はあせって不可《いけな》い。話の続きでも知れてるじゃないか。……高利の借りぬし、かくいう牛骨、私とそれに弁持十二さ。」
「何だ二人でか、まさか、そんな竹如意、髑髏の亜流のごとき……」
「黙るよ、私は。失礼な、素人を馬鹿な、誰が失礼を。」
「はやまった、言《ことば》のはずみだ、逸外《はやま》った。その短銃《たんづつ》を、すぐに引掴《ひっつか》んで引金を捻《ひね》くるから殺風景だ。」
「けれどもね。実は、その時の光景というのが、短銃と短刀同然だったよ。弁持と二人で、女房を引挟《ひっぱさ》んで。」
 といって、苦笑した。

       三十二

「――何ね、義理と附合で、弁持と二人で出掛けなくちゃならない葬式《とむらい》があった、青山の奥の裏寺さ。不断は不断、お儀式の時の、先生のいいつけが厳しい。……というのは羽織袴です――弁持も私も、銀行は同一《おなじ》取引の資産家だから、出掛けに、捨利《すてり》で一着に及んだ礼服を、返りがけに質屋の店さきで、腰を掛けながら引剥《ひっぱ》ぐと、江戸川べりの冬空に――いいかね――青山から、歩行《てく》で一度中の橋手前の銀行へ寄ったんだ。――着流《きながし》と来て、袂《たもと》へ入れた、例の菓子さ、紫蘇入《しそいり》の塩竈《しおがま》が両提《ふたつさげ》の煙草入と一
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