と、乳のあたりへ袖を緊《し》めつつ、
「空から降って来やしないんでしょうか。」
「……空からでしょうよ、池からでしょうよ、天女からお授かりなすったのかも知れませんね、羨しいったらありませんわねえ。」

       二十

「でも、私、小説が上手に出来ますように――笑わないで頂戴……そういって拝んだんですのに。」
「じょうだんじゃありません、かりにもそのくらいなものをお授かりになったんですのに。」
「半分切ってあげましょうか。」
「驚いた……誰方《どなた》にさ。」
「三浜さんに。」
「まあ。」
「だって、二人でお詣りに来たんですもの。」
「まあ、慾《よく》のおあんなさらない、可愛い、それだから私に抱かれようって……ほんとに抱きますよ。」
「あれ、人が居ます、ほほほ。」
「ええ、そう。――もうあそこまで行きました。」
 ――斉《ひと》しく見遣った。
 富士|颪《おろし》というのであろう。西の空はわずかに晴間を見せた。が、池の端を内へ、柵に添って、まだ濛々《もうもう》と、雪烟《ゆきけぶり》する中を、スイと一人、スイと、もう一人。やや高いのと低いのと、海月《くらげ》が泳ぐような二人づれが、足はただようのに、向ううつむけに沈んで行《ゆ》く。……
 脊の高い方は、それでも外套《がいとう》一着で、すっぽりと中折帽を被《かぶ》っている。が、寸の短い方は、黒の羽織に袴なし、蓑《みの》もなしで、見っともない、その上|紋着《もんつき》。やがて渚に聞けば、しかも五つ紋で。――これは外套の頭巾ばかりを木菟《みみずく》に被って、藻抜けたか、辷落《すべりお》ちたか、その魂魄《こんぱく》のようなものを、片手にふらふらと提げている。渚に聞けば、竹の皮包だ――そうであった。
「――あれ、辻町さんよ、ちょいと。」
「辻……町」
「糸七さんですってば。――つい、取紛れて、いきなり噂をしようって処、おくれちまいましたんですがね、いま、さっき、現にいま……」
「今……」
「懐剣、といって、花々しく、あなたがその木戸をお開けなすった時ですよ。立停《たちどま》ってしばらく見ていましたんですよ、二人とも。頭巾を被っておいでだし、横吹きに吹掛けていましたから、お気がつかなかったんです。もっともね、すぐその前、あすこで――私はお約束の大時計より、大変な後《おく》れ方ですから、俥《くるま》をおりると、早廻りに、すぐ
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