さば》いたの、部屋着を開《はだ》けたのだのが、さしむかいで、盃洗が出るとなっては、そのままいきなり、泳いで宜《よろ》しい、それで寄鍋をつつくうちは、まだしも無鱗類の餌らしくて尋常だけれども、沸燗《にえがん》を、めらめらと燃やして玉子酒となる輩《ともがら》は、もう、妖怪に近かった。立てば槍《やり》烏賊、坐れば真《ま》烏賊、動く処は、あおり烏賊、と拍子にかかると、また似たものが外《ほか》にあった。
季節はそれるが、その形は、油蝉にも似たのである。
――月府玄蝉《げっぷげんせん》――上杉先生が、糸七同門の一人に戯《たわむれ》に名づけたので、いう心は月賦で拵《こしら》えた黒色外套の揶揄《やゆ》である。これが出来上った時、しかも玉虫色の皆絹裏《かいきうら》がサヤサヤと四辺《あたり》を払って、と、出立《いでた》った処は出来《でか》したが、懐中|空《むな》しゅうして行処《ゆくところ》がない。まさか、蕎麦屋《そばや》で、かけ一、御酒なしでも済まないので、苦心の結果、場末の浪花節を聞いたという。こんなのは月賦が必ず滞《たま》る。……洋服屋の宰取《さいとり》の、あのセルの前掛《まえかけ》で、頭の禿《は》げたのが、ぬかろうものか、春暖相催し申候や否や、結構なお外套、ほこり落しは今のうち、と引剥《ひきは》いで持って行《ゆ》くと、今度は蝉の方で、ジイジイ鳴噪《なきさわ》いでも黐棹《もちざお》の先へも掛けないで、けろりと返さぬのがおきまりであった。
――弁持《べんもち》十二――というのも居た。おなじ門葉《もんよう》の一人で、手弁で新聞社へ日勤する。月給十二円の洒落《しゃれ》、非ず真剣を、上杉先生が笑ったのである。
ここに――もう今頃は、仔細《しさい》あって、変な形でそこいらをのそついているだろう――辻町糸七の名は、そんな意味ではない。
上杉先生の台町とは、山……一つ二つあなたなる大塚辻町に自炊して、長屋が五十七番地、渠《かれ》自ら思いついた、辻町はまずいい、はじめは五十七、いそなの磯菜。
「ヘン笑かすぜ、」「にやけていやがる、」友達が熱笑冷罵する。そこで糸七としたのである。七夕の恋の意味もない。三味線《さみせん》の音色もない。
その糸七が、この大雪に、乗らない車坂あたりを段々に、どんな顔をしていよう。名を聞いただけでも空腹《すきばら》へキヤリと応える、雁鍋《がんなべ》の前あたりへ…
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