足が宙へ。
「カーン。」と一喝。百にもあまる朱の鳥居を一飛びにスーッと抜ける、と影は燈《あかり》に、空《くう》を飛んで、梢《こずえ》を伝う姿が消える、と谺《こだま》か、非《あら》ずや、雷神坂の途《みち》半ばのあたりに、暗《やみ》を裂く声、
「カーン。」と響いた。
「あれえ。」
「いや、怪《あやし》いものではありません。」
「老人の夥間《なかま》ですよ。」
 社《やしろ》の裏を連立って、眉目俊秀《びもくしゅんしゅう》な青年《わかもの》二人、姿も対に、暗中《くらがり》から出たのであった。
「では、やっぱりお狂言の?……」
「いや、能楽《のう》の方です。――大師匠方に内弟子の私たち。」
「老人の、あの苦心に見倣《みなら》え、と先生の命令《いいつけ》で出向いています。」
 と、斉《ひと》しく深くした帽子を脱いで、お町に礼して、見た顔の、蝋燭《ろうそく》の灯《ひ》に二人の瞼《まぶた》が露に濡れていた。
「若先生。」
「おお大沼さん。」
「貴方《あなた》もかい。」
 大沼善八は、靴を穿《は》いた、裾からげで、正宗の四合壜《しごうびん》を紐からげにして提げていた。
「対手《あいて》が、あの意気込じゃあ、安閑としていられません。寒い!(がたがたと震えて、)いつでもお爺さんに河豚鍋のおつきあいで嘲笑《あざわら》われる腹癒《はらい》せに、内証《ないしょ》で、……おお、寒! ちびちびと敵《かたき》を取ろうと思ったが、恐入って飲めんのでした。――お嬢さん、貴女は、氏神でおいでなさる。」
[#地から1字上げ]大正五(一九一六)年一月



底本:「泉鏡花集成6」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行

底本の親本:「鏡花全集 第十六卷」岩波書店
   1942(昭和17)年4月20日発行
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2007年2月11日作成
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