《は》く深い裾も――風情は萩の花で、鳥居もとに彼方《あなた》、此方《こなた》、露ながら明《あかる》く映って、友染《ゆうぜん》を捌《さば》くのが、内端《うちわ》な中に媚《なまめ》かしい。
 狐の顔が明先《あかりさき》にスッと来て近《ちかづ》くと、その背後《うしろ》へ、真黒《まっくろ》な格子が出て、下の石段に踞《うずくま》った法然《ほうねん》あたまは与五郎である。
 老人は、石の壇に、用意の毛布《けっと》を引束《ひったば》ねて敷いて、寂寞《ひっそり》として腰を据えつつ、両手を膝に端坐した。
「お爺様。」
 と云う、提灯の柄が賽銭箱《さいせんばこ》について、件《くだん》の青狐の像と、しなった背中合せにお町は老人の右へ行《ゆ》く。
「やあ、」
 もっての外元気の可《い》い声を掛けたが、それまで目を瞑《つぶ》っていたらしい、夢から覚めた面色《おももち》で、
「またしてもお見舞……令嬢《おあねえさま》、早や、それでは痛入《いたみい》る。――老人にお教へ下さると云うではなけれど、絵図面が事の起因《おこり》ゆえ、土地に縁があろうと思えば、もしや、この明神に念願を掛けたらば――と貴女《あなた》がお心付け下された。暗夜《やみよ》に燈火《ともしび》、大智識のお言葉じゃ。
 何か、わざと仔細《しさい》らしく、夜中にこれへ出ませいでもの事なれども、朝、昼、晩、日のあるうちは、令嬢《おあねえさま》のお目に留《とま》って、易からぬお心遣い、お見舞を受けまする。かつは親御様の前、別して御尊父に忍んで遊ばす姫御前《ひめごぜん》の御身《おんみ》に対し、別事あってならぬと存じ、御遠慮を申すによって、わざと夜陰を選んで参りますものを、何としてこの暗いに。これでは老人、身の置きどころを覚えませぬ。第一|唯今《ただいま》も申す親御様に、」
「いえ、母は、よく初手からの事を存じております。煩っておりませんと、もっと以前にどうにもしたいのでございますッて。ほんとうにお爺様、貴老《あなた》の御心労をお察し申して、母は蔭ながら泣いております。」
「ああ、勿体至極《もったいしごく》もござらん。その儀もかねてうけたまわり、老人心魂に徹しております。」
「私も一所に泣くんですわ。ほんとうに私の身体《からだ》で出来ます事でしたら、どうにもしてお上げ申したいんでございますよ。それこそね、あの、貴老《あなた》が遊ばす、お狂言の罠《わな》にかかるために、私の身体《からだ》を油でいためてでも差上げたいくらいに思うんですが……それはお察しなさいましよ。」
「言語道断」と与五郎は石段をずるりと辷《すべ》った。

       十五

「そして、別にお触《さわ》りはございませんの。おとしよりが、こんなに、まあ、御苦労を遊ばして。」
「いや、老人、胸が、むず痒《がゆ》うて、ただ身体《からだ》の震えまする外、ここに参ってからはまた格別一段の元気じゃ、身体《からだ》は決してお案じ下さりょう事はない。かえって何かの悟《さとり》を得ようと心嬉しいばかりでござる。が、御母堂様は。」
「母はね、お爺様、寝ましたきり、食が細って困るんです。」
「南無三宝《なむさんぽう》。」
「今夜は、ちと更けましてから、それでも蕎麦《そば》かきをして食べてみよう、とそう言いましてね、ちょうど父の在所から届きました新蕎麦の粉がありましたものですから、私が枕頭《まくらもと》で拵《こしら》えました。父は、あの一晩泊りにその在へ参って留守なのです。母とまた、お爺様、貴老《あなた》の事をそう申して……きっとお社《やしろ》においでなさるに違いない、内へお迎えをしたいんですけれど、ああ云った父の手前、留守ではなおさら不可《いけ》ません。」
「おおおお、いかにも。」
「蕎麦かきは暖《あたたま》ると申します。差上げたらば、と母と二人でそう申しましてね、あの、ここへ持って参りました。おかわりを添えてございますわ。お可厭《いや》でなくば召上って下さいましな。」
「や、蕎麦|掻《かき》を……されば匂う。来世は雁《かり》に生《うま》りょうとも、新蕎麦と河豚《ふぐ》は老人、生命《いのち》に掛けて好きでござる。そればかりは決して御辞儀申さぬぞ。林間に酒こそ暖めませぬが、大宮人《おおみやびと》の風流。」
 と露店でも開くがごとく、与五郎一廻りして毛布《けっと》を拡げて、石段の前の敷石に、しゃんと坐る、と居直った声が曇った。
 また魅せられたような、お町も、その端へ腰を下して、世帯ぶった手捌《てさば》きで、白いを取ったは布巾である。
 与五郎、盆を前に両手を支《つ》き、
「ああ、今夜唯今、与五郎芸人の身の冥加《みょうが》を覚えました。……ついては、新蕎麦の御祝儀に、爺《じい》が貴女に御伽《おとぎ》を話《もう》す。……われら覚えました狂言の中に、鬼瓦《おにがわら》と
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