時に蒼空《あおぞら》の澄渡《すみわた》った、」
 と心激しくみひらけば、大なる瞳、屹《きっ》と仰ぎ、
「秋の雲、靉靆《あいたい》と、あの鵄《とび》たちまち孔雀《くじゃく》となって、その翼に召したりとも思うお姿、さながら夢枕にお立ちあるように思出しましたは、貴女《あなた》、令嬢様《おあねえさま》、貴女の事じゃ。」
 お町は謹《つつしん》で袖を合せた。玉あたたかき顔《かんばせ》の優《やさし》い眉の曇ったのは、その黒髪の影である。
「老人、唯今の心地を申さば、炎天に頭《こうべ》を曝《さら》し、可恐《おそろし》い雲を一方の空に視《み》て、果てしもない、この野原を、足を焦《こが》し、手を焼いて、徘徊《さまよ》い歩行《ある》くと同然でござる。時に道を教えて下された、ああ、尊さ、嬉《うれし》さ、おん可懐《なつかし》さを存ずるにつけて……夜汽車の和尚の、室《へや》をぐるりと廻った姿も、同じ日の事なれば、令嬢《おあねえさま》の、袖口から、いや、その……あの、絵図面の中から、抜出《ぬけだ》しましたもののように思われてなりませぬ。
 さように思えば、ここに、絵図面をお展《ひら》き下されて、貴女と二人立って見ましたは、およそ天《あま》ヶ下の芸道の、秘密の巻もの、奥許しの折紙を、お授け下されたおもい致す!
 姫、神とも存ずる、令嬢《おあねえさま》。
 分別の尽き、工夫に詰《つま》って、情《なさけ》なくも教《おしえ》を頂く師には先立たれましたる老耄《おいぼれ》。他《ほか》に縋《すが》ろうようがない。ただ、偏《ひとえ》に、令嬢様《おあねえさま》と思詰《おもいつ》めて、とぼとぼと夢見たように参りました。
 が、但し、土地の、あの図に、何と秘密が有ろうとは存じませぬ。貴女の、お胸、お心に、お袖の裏《うち》に、何となく教《おしえ》が籠《こも》る、と心得まする。
 何とぞ、貴女の、御身《おんみ》からいたいて、人に囃《はや》され、小児《こども》たちに笑われませぬ、白蔵王《はくぞうす》の法衣《ころも》のこなし、古狐の尾の真実の化方を御《おん》教えに預りたい……」
「これ、これ、いやさ、これ。」
「しばらく! さりとても、令嬢様《おあねえさま》、御年紀《おんとし》、またお髪《ぐし》の様子。」
 娘は髪に手を当てた、が、容《かたち》づくるとは見えず、袖口の微《かすか》な紅《くれない》、腕《かいな》も端麗なもので
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