《もた》せながら、畳んで懐中《ふところ》に入れていた、その羽織を引出して、今着直した処なのである。
また妙な処で御装束。
雷神山の急昇りな坂を上《あが》って、一畝《ひとうね》り、町裏の路地の隅、およそ礫川《こいしかわ》の工廠《こうしょう》ぐらいは空地《くうち》を取って、周囲《ぐるり》はまだも広かろう。町も世界も離れたような、一廓《ひとくるわ》の蒼空《あおぞら》に、老人がいわゆる緑青色の鳶《とび》の舞う聖心女学院、西暦を算して紀元幾千年めかに相当する時、その一部分が武蔵野の丘に開いた新開の町の一部分に接触するのは、ただここばかりかも知れぬ。外廓《がいかく》のその煉瓦と、角邸《かどやしき》の亜鉛塀とが向合って、道の幅がぎしりと狭い。
さて、その青鳶《あおとび》も樹に留《とま》った体《てい》に、四階造《しかいづくり》の窓硝子《まどがらす》の上から順々、日射《ひざし》に晃々《きらきら》と数えられて、仰ぐと避雷針が真上に見える。
この突当りの片隅が、学校の通用門で、それから、ものの半町程、両側の家邸。いずれも雑樹林や、畑《はた》を抱く。この荒地《あれち》の、まばら垣と向合ったのが、火薬庫の長々とした塀になる。――人通りも何にも無い。地図の上へ鉛筆で楽書《らくがき》したも同然な道である。
そこを――三光坂上の葭簀張《よしずばり》を出た――この老人はうら枯《がれ》を摘んだ籠《かご》をただ一人で手に提げつつ、曠野《あらの》の路を辿《たど》るがごとく、烏瓜のぽっちりと赤いのを、蝙蝠傘《こうもりがさ》に搦《から》めて支《つ》いて、青い鳶を目的《めあて》に、扇で日を避け、日和下駄を踏んで、大廻りに、まずその寂しい町へ入って来たのであった。
いや、火薬庫の暗い森を背中から離すと、邸構えの寂しい町も、桜の落葉に日が燃えて、梅の枝にほんのりと薄綿の霧が薫る……百日紅《さるすべり》の枯れながら、二つ三つ咲残ったのも、何となく思出《おもいで》の暑さを見せて、世はまださして秋の末でもなさそうに心強い。
そこをあちこち、覗《のぞ》いたり、視《み》たり、立留《たちどま》ったり、考えたり、庭前《にわさき》、垣根、格子の中。
「はてな。」
屋の棟を仰いだり、後退《あとずさ》りをまたしてみたり。
「確《たしか》に……」
歩行《あるき》出して、
「いや、待てよ……」
と首を窘《すく》めて、こ
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