、浅葱にしろ、矢張着人によって、どんよりとして、其の本来の色を何処かに消して了う。
要するに、其の色を見せることは、其の人の腕によることで、恰《あたか》も画家が色を出すのに、大なる手腕を要するが如しだ。
友染の長襦袢は、緋縮緬の長襦袢よりは、これを着て、其の色を発揮させるに於いて、確に容易である。即ち友染は色が混《まざ》って居るがため、其の女の色の白いと然らざるとに論無く、友染の色と女の顔の色とに調和するに然《さ》までの困難は感ぜぬ。緋縮緬に至っては然《さ》にあらざることは前に述べた。
是を以て見るに、或る意味から之をいえば、純なる色を発揮せしむることは困難といい得る。さればこそ混濁された色が流行するようになって来た。かの海老茶袴は、最もよくこれ等の弱点を曝露して居るものといわねばならぬ。
また同じ鼈甲を差して見ても、差手によって照《てり》が出ない。其の人の品《ひん》なり、顔なりが大に与《あずか》って力あるのである。
すべての色の取り合わせなり、それから、櫛なり簪なり、ともに其の人の使いこなしによって、それぞれの特色を発揮するものである。
近来は、穿き立ての白足袋が硬《こわ
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