いた、つくりものの自の神馬《しんめ》が寂寞《せきばく》として一頭《ひとつ》立つ。横に公園へ上《あが》る坂は、見透《みとお》しに成つて居たから、涼傘《ひがさ》のまゝスツと鳥居から抜けると、紫玉の姿は色のまゝ鳥居の柱に映つて通る。……其処《そこ》に屋根囲《やねがこい》した、大《おおい》なる石の御手洗《みたらし》があつて、青き竜頭《りゅうず》から湛《たた》へた水は、且《か》つすら/\と玉を乱して、颯《さっ》と簾《すだれ》に噴溢《ふきあふ》れる。其手水鉢《そのちょうずばち》の周囲《まわり》に、唯《ただ》一人……其の稚児《ちご》が居たのであつた。
が、炎天、人影も絶えた折から、父母《ちちはは》の昼寝の夢を抜出《ぬけだ》した、神官の児《こ》であらうと紫玉は視《み》た。ちら/\廻りつゝ、廻りつゝ、彼方此方《あちこち》する。……
唯《と》、御手洗は高く、稚児は小さいので、下を伝うてまはりを廻るのが、宛然《さながら》、石に刻んだ形が、噴溢《ふきあふ》れる水の影に誘はれて、すら/\と動くやうな。……と視るうちに、稚児は伸上《のびあが》り、伸上《のびあが》つては、いたいけな手を空に、すらりと動いて、伸上つては、又空に手を伸ばす。――
紫玉はズツと寄つた。稚児は最《も》う涼傘《ひがさ》の陰に入つたのである。
「一寸《ちょっと》……何をして居るの。」
「水が欲しいの。」
と、あどけなく言つた。
あゝ、其《それ》がため足場を取つては、取替《とりか》へては、手を伸ばす、が爪立《つまだ》つても、青い巾《きれ》を巻いた、其の振分髪《ふりわけがみ》、まろが丈《たけ》は……筒井筒《つついづつ》其の半《なかば》にも届くまい。
三
其の御手洗《みたらし》の高い縁《ふち》に乗つて居る柄杓《ひしゃく》を、取りたい、と又|稚児《ちご》が然《そ》う言つた。
紫玉は思はず微笑《ほほえ》んで、
「あら、恁《こ》うすれば仔細《わけ》はないよ。」
と、半身《はんしん》を斜めにして、溢《あふ》れかゝる水の一筋《ひとすじ》を、玉《たま》の雫《しずく》に、颯《さっ》と散らして、赤く燃ゆるやうな唇に請《う》けた。ちやうど渇いても居たし、水の潔《きよ》い事を見たのは言ふまでもない。
「ねえ、お前。」
稚児が仰いで、熟《じっ》と紫玉を視《み》て、
「手を浄《きよ》める水だもの。」
直接《じか》に吻《くち》を接《つけ》るのは不作法だ、と咎《とが》めたやうに聞えたのである。
劇壇の女王《にょおう》は、気色《けしき》した。
「いやにお茶《ちゃ》がつてるよ、生意気な。」と、軽く其の頭《つむり》を掌《てのひら》で叩《たた》き放《ぱな》しに、衝《つ》と広前《ひろまえ》を切れて、坂に出て、見返りもしないで、扨《さ》てやがて此の茶屋に憩《いこ》つたのであつた。――
今思ふと、手を触れた稚児の頭《つむり》も、女か、男か、不思議に其の感覚が残らぬ。気は涼しかつたが、暑さに、幾干《いくら》か茫《ぼう》としたものかも知れない。
「娘《ねえ》さん、町から、此の坂を上《のぼ》る処《ところ》に、お宮がありますわね。」
「はい。」
「何と言ふ、お社《やしろ》です。」
「浦安《うらやす》神社でございますわ。」と、片手を畳《たたみ》に、娘は行儀正しく答へた。
「何神様《なにがみさま》が祭つてあります。」
「お父さん、お父さん。」と娘が、つい傍《そば》に、蓮池《はすいけ》に向いて、(じんべ)と言ふ膝《ひざ》ぎりの帷子《かたびら》で、眼鏡《めがね》の下に内職らしい網《あみ》をすいて居る半白《はんぱく》の父を呼ぶと、急いで眼鏡を外《はず》して、コツンと水牛《すいぎゅう》の柄《え》を畳《たた》んで、台に乗せて、其から向直《むきなお》つて、丁寧に辞儀をして、
「えゝ、浦安様は、浦安かれとの、其の御守護ぢやさうにござりまして。水をばお司《つかさど》りなされます、竜神《りゅうじん》と申すことでござります。これの、太夫様《たゆうさま》にお茶を替へて上げぬかい。」
紫玉は我知《われし》らず衣紋《えもん》が締《しま》つた。……称《とな》へかたは相応《そぐ》はぬにもせよ、拙《へた》な山水画の裡《なか》の隠者めいた老人までが、確か自分を知つて居る。
心着《こころづ》けば、正面|神棚《かみだな》の下には、我が姿、昨夜《ゆうべ》も扮した、劇中|女主人公《ヒロイン》の王妃なる、玉の鳳凰《ほうおう》の如きが掲げてあつた。
「そして、……」
声も朗《ほがら》かに、且《か》つ慎《つつ》ましく、
「竜神だと、女神《おんながみ》ですか、男神《おとこがみ》ですか。」
「さ、さ。」と老人は膝《ひざ》を刻んで、恰《あたか》も此の問を待構《まちかま》へたやうに、
「其の儀は、とかくに申しまするが、如何《いかが》か、孰《いず》れと
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