折つて、坊主頭を、がく、と俯向《うつむ》けて唄ふので、頸《うなじ》を抽《ぬ》いた転軫《てんじん》に掛《かか》る手つきは、鬼が角《つの》を弾《はじ》くと言はば厳《いか》めしい、寧《むし》ろ黒猫が居て顔を洗ふと言ふのに適する。
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――なから舞ひたりしに、御輿《みこし》の嶽《たけ》、愛宕山《あたごやま》の方《かた》より黒雲《くろくも》俄《にわか》に出来《いでき》て、洛中《らくちゅう》にかゝると見えければ、――
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 と唄ふ。……紫玉は腰を折つて地に低く居て、弟子は、其の背後《うしろ》に蹲《しゃが》んだ。
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――八大竜王《はちだいりゅうおう》鳴渡《なりわた》りて、稲妻《いなずま》ひらめきしに、諸人《しょにん》目を驚かし、三日の洪水を流し、国土|安穏《あんおん》なりければ、扨《さて》こそ静の舞《まい》に示現ありけるとて、日本一と宣旨《せんじ》を給《たまわ》りけると、承《うけたまわ》り候《そうろう》。――
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 時に唄を留《や》めて黙つた。
「太夫様《たゆうさま》。」
 余り尋常《じんじょう》な、ものいひだつたが、
「は、」と、呼吸《いき》をひいて答へた紫玉の、身動《みじろ》ぎに、帯がキと擦れて鳴つたほど、深く身に響いて聞いたのである。
「癩坊主《かったいぼうず》が、ねだり言《ごと》を肯《うけご》うて、千金《せんきん》の釵《かんざし》を棄《す》てられた。其の心操《こころばえ》に感じて、些細《ささい》ながら、礼心《れいごころ》に密《そ》と内証《ないしょう》の事を申す。貴女《あなた》、雨乞《あまごい》をなさるが可《よ》い。――天《てん》の時、地《ち》の利、人《ひと》の和、まさしく時節《じせつ》ぢや。――こゝの大池《おおいけ》の中洲《なかす》の島に、かりの法壇を設けて、雨を祈ると触れてな。……袴《はかま》、練衣《ねりぎぬ》、烏帽子《えぼし》、狩衣《かりぎぬ》、白拍子《しらびょうし》の姿が可《よ》からう。衆人《しゅうじん》めぐり見る中へ、其の姿をあの島の柳の上へ高く顕《あらわ》し、大空に向つて拝《はい》をされい。祭文《さいもん》にも歌にも及ばぬ。天竜《てんりゅう》、雲を遣《や》り、雷《らい》を放ち、雨を漲《みなぎ》らすは、明午《みょうご》を過ぎて申《さる》の上刻《じょうこく》に分毫《ふんごう》も相違
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