町から、この坂を上る処に、お宮がありますわね。」
「はい。」
「何と言う、お社です。」
「浦安神社でございますわ。」と、片手を畳に、娘は行儀正しく答えた。
「何神様が祭ってあります。」
「お父さん、お父さん。」と娘が、つい傍《そば》に、蓮池《はすいけ》に向いて、(じんべ)という膝《ひざ》ぎりの帷子《かたびら》で、眼鏡の下に内職らしい網をすいている半白の父を呼ぶと、急いで眼鏡を外して、コツンと水牛の柄を畳んで、台に乗せて、それから向直って、丁寧に辞儀をして、
「ええ、浦安様は、浦安かれとの、その御守護じゃそうにござりまして。水をばお司《つかさど》りなされます、竜神と申すことでござります。これの、太夫様にお茶を替えて上げぬかい。」
紫玉は我知らず衣紋《えもん》が締《しま》った。……称《とな》えかたは相応《そぐ》わぬにもせよ、拙《へた》な山水画の裡《なか》の隠者めいた老人までが、確か自分を知っている。
心着けば、正面神棚の下には、我が姿、昨夜《ゆうべ》も扮《ふん》した、劇中|女主人公《ヒロイン》の王妃なる、玉の鳳凰《ほうおう》のごときが掲げてあった。
「そして、……」
声も朗かに、且つ
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