三

 その御手洗の高い縁に乗っている柄杓《ひしゃく》を、取りたい、とまた稚児がそう言った。
 紫玉は思わず微笑《ほほえ》んで、
「あら、こうすれば仔細《わけ》ないよ。」
 と、半身を斜めにして、溢れかかる水の一筋を、玉の雫《しずく》に、颯《さっ》と散らして、赤く燃ゆるような唇に請《う》けた。ちょうど渇《かわ》いてもいたし、水の潔《きよ》い事を見たのは言うまでもない。
「ねえ、お前。」
 稚児が仰いで、熟《じっ》と紫玉を視《み》て、
「手を浄《きよ》める水だもの。」
 直接《じか》に吻《くち》を接《つけ》るのは不作法だ、と咎《とが》めたように聞えたのである。
 劇壇の女王《にょおう》は、気色《けしき》した。
「いやにお茶がってるよ、生意気な。」と、軽くその頭《つむり》を掌《てのひら》で叩《たた》き放しに、衝《つ》と広前を切れて、坂に出て、見返りもしないで、さてやがてこの茶屋に憩ったのであった。――
 今思うと、手を触れた稚児の頭《つむり》も、女か、男か、不思議にその感覚が残らぬ。気は涼しかったが、暑さに、いくらか茫《ぼう》としたものかも知れない。
「娘《ねえ》さん、
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