し》いもので、起居《たちい》にいたわりつ、慰めつ、で、これも注意はしたらしいが、深更のしかも夏の夜《よ》の戸鎖《とざし》浅ければ、伊達巻《だてまき》の跣足《はだし》で忍んで出る隙《すき》は多かった。
 生命《いのち》の惜《おし》からぬ身には、操るまでの造作も要らぬ。小さな通船《かよいぶね》は、胸の悩みに、身もだえするままに揺動《ゆりうご》いて、萎《しお》れつつ、乱れつつ、根を絶えた小船の花の面影は、昼の空とは世をかえて、皓々《こうこう》として雫《しずく》する月の露吸う力もない。
「ええ、口惜しい。」
 乱れがみを※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》りつつ、手で、砕けよ、とハタと舷を打つと……時の間《ま》に痩《や》せた指は細くなって、右の手の四つの指環は明星に擬《なぞら》えた金剛石《ダイヤモンド》のをはじめ、紅玉《ルビイ》も、緑宝玉《エメラルド》も、スルリと抜けて、きらきらと、薄紅《うすくれない》に、浅緑に皆水に落ちた。
 どうでもなれ、左を試みに振ると、青玉も黄玉も、真珠もともに、月の美しい影を輪にして沈む、……竜《たつ》の口は、水の輪に舞う処である。
 ここに残るは
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