にして、さらさらと音する流《ながれ》の底に、聞きも知らぬ三味線の、沈んだ、陰気な調子に合せて、微《かすか》に唄う声がする。
「――坊さんではないかしら……」
紫玉は胸が轟《とどろ》いた。
あの漂泊《さすらい》の芸人は、鯉魚の神秘を視《み》た紫玉の身には、もはや、うみ汁のごとく、唾《つば》、涎《よだれ》の臭い乞食坊主のみではなかったのである。
「……あの、三味線は、」
夜陰のこんな場所で、もしや、と思う時、掻消《かきき》えるように音が留《や》んで、ひたひたと小石を潜《くぐ》って響く水は、忍ぶ跫音《あしおと》のように聞える。
紫玉は立留まった。
再び、名もきかぬ三味線の音が陰々として響くと、
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――日本一にて候ぞと申しける。鎌倉殿ことごとしや、何処《いずこ》にて舞いて日本一とは申しけるぞ。梶原申しけるは、一歳《ひととせ》百日の旱《ひでり》の候いけるに、賀茂川《かもがわ》、桂川《かつらがわ》、水瀬《みなせ》切れて流れず、筒井の水も絶えて、国土の悩みにて候いけるに、――
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聞くものは耳を澄まして袖を合せたのである。
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