そ》ぐと聞く、戦国の余残《なごり》だそうである。
 紫玉は釵を洗った。……艶《えん》なる女優の心を得た池の面《おも》は、萌黄《もえぎ》の薄絹のごとく波を伸べつつ拭《ぬぐ》って、清めるばかりに見えたのに、取って黒髪に挿そうとすると、ちっと離したくらいでは、耳の辺《はた》へも寄せられぬ。鼻を衝《つ》いて、ツンと臭い。
「あ、」と声を立てたほどである。
 雫《しずく》を切ると、雫まで芬《ぷん》と臭《にお》う。たとえば貴重なる香水の薫《かおり》の一滴の散るように、洗えば洗うほど流せば流すほど香が広がる。……二三度、四五度、繰返すうちに、指にも、手にも、果《はて》は指環の緑碧紅黄《りょくへきこうこう》の珠玉の数にも、言いようのない悪臭が蒸《いき》れ掛《かか》るように思われたので。……
「ええ。」
 紫玉はスッと立って、手のはずみで一|振《ふり》振った。
「ぬしにおなりよ。」
 白金《プラチナ》の羽の散る状《さま》に、ちらちらと映ると、釵は滝壺に真蒼《まっさお》な水に沈んで行《ゆ》く。……あわれ、呪《のろ》われたる仙禽《せんきん》よ。卿《おんみ》は熱帯の鬱林《うつりん》に放たれずして、山地の碧潭《
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