か》に憩いながら、緋塩瀬《ひしおぜ》の煙管筒《きせるづつ》の結目《むすびめ》を解掛けつつ、偶《ふ》と思った。……
 髷《まげ》も女優巻でなく、わざとつい通りの束髪で、薄化粧の淡洒《あっさり》した意気造《いきづくり》。形容《しな》に合せて、煙草入《たばこいれ》も、好みで持った気組の婀娜《あだ》。
 で、見た処は芸妓《げいしゃ》の内証歩行《ないしょあるき》という風だから、まして女優の、忍びの出、と言っても可《い》い風采《ふう》。
 また実際、紫玉はこの日は忍びであった。演劇《しばい》は昨日《きのう》楽になって、座の中には、直ぐに次《つぎ》興行の隣国へ、早く先乗《さきのり》をしたのが多い。が、地方としては、これまで経歴《へめぐ》ったそこかしこより、観光に価値《あたい》する名所が夥《おびただし》い、と聞いて、中二日ばかりの休暇《やすみ》を、紫玉はこの土地に居残った。そして、旅宿に二人附添った、玉野、玉江という女弟子も連れないで、一人で密《そっ》と、……日盛《ひざかり》もこうした身には苦にならず、町中《まちなか》を見つつ漫《そぞろ》に来た。
 惟《おも》うに、太平の世の国の守《かみ》が、隠れて民間に微行するのは、政《まつりごと》を聞く時より、どんなにか得意であろう。落人《おちゅうど》のそれならで、そよと鳴る風鈴も、人は昼寝の夢にさえ、我名を呼んで、讃美し、歎賞する、微妙なる音響、と聞えて、その都度、ハッと隠れ忍んで、微笑《ほほえ》み微笑み通ると思え。
 深張《ふかばり》の涼傘《ひがさ》の影ながら、なお面影は透き、色香は仄《ほの》めく……心地すれば、誰《たれ》憚《はばか》るともなく自然《おのず》から俯目《ふしめ》に俯向《うつむ》く。謙譲の褄《つま》はずれは、倨傲《きょごう》の襟より品を備えて、尋常な姿容《すがたかたち》は調って、焼地に焦《い》りつく影も、水で描いたように涼しくも清爽《さわやか》であった。
 わずかに畳の縁《へり》ばかりの、日影を選んで辿《たど》るのも、人は目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、鯨に乗って人魚が通ると見たであろう。……素足の白いのが、すらすらと黒繻子《くろじゅす》の上を辷《すべ》れば、溝《どぶ》の流《ながれ》も清水の音信《おとずれ》。
 で、真先《まっさき》に志したのは、城の櫓《やぐら》と境を接した、三つ二つ、全国に指を屈する
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