ぐわ、舐《しゃぶ》るわ!鼻息がむッと掛《かか》る。堪《たま》らず袖を巻いて唇を蔽《おお》いながら、勢い釵とともに、やや白やかな手の伸びるのが、雪白《せっぱく》なる鵞鳥《がちょう》の七宝の瓔珞《ようらく》を掛けた風情なのを、無性髯《ぶしょうひげ》で、チュッパと啜込《すすりこ》むように、坊主は犬蹲《いぬつくばい》になって、頤《あご》でうけて、どろりと嘗《な》め込む。
と、紫玉の手には、ずぶずぶと響いて、腐れた瓜を突刺す気味合《きみあい》。
指環は緑紅の結晶したる玉のごとき虹《にじ》である。眩《まぶ》しかったろう。坊主は開いた目も閉じて、※[#「りっしんべん+(くさかんむり/あみがしら/冖/目)」、第4水準2−12−81]《ぼう》とした顔色《がんしょく》で、しっきりもなしに、だらだらと涎《よだれ》を垂らす。「ああ、手がだるい、まだ?」「いま一息。」――
不思議な光景《ようす》は、美しき女が、針の尖《さき》で怪しき魔を操る、舞台における、神秘なる場面にも見えた。茶店の娘とその父は、感に堪えた観客《かんかく》のごとく、呼吸《いき》を殺して固唾《かたず》を飲んだ。
……「ああ、お有難や、お有難い。トンと苦悩を忘れました。お有難い。」と三味線包、がっくりと抜衣紋《ぬきえもん》。で、両掌《りょうて》を仰向け、低く紫玉の雪の爪先《つまさき》を頂く真似して、「かように穢《むさ》いものなれば、くどくどお礼など申して、お身近はかえってお目触《めざわ》り、御恩は忘れぬぞや。」と胸を捻《ね》じるように杖で立って、
「お有難や、有難や。ああ、苦を忘れて腑《ふ》が抜けた。もし、太夫様。」と敷居を跨《また》いで、蹌踉《よろけ》状《ざま》に振向いて、「あの、そのお釵に……」――「え。」と紫玉が鸚鵡を視《み》る時、「歯くさが着いてはおりませぬか。恐縮《おそれ》や。……えひひ。」とニヤリとして、
「ちゃっとお拭《ふ》きなされませい。」これがために、紫玉は手を掛けた懐紙《ふところがみ》を、余儀なくちょっと逡巡《ためら》った。
同時に、あらぬ方《かた》に蒼《つ》と面《おもて》を背けた。
六
紫玉は待兼ねたように懐紙《かいし》を重ねて、伯爵、を清めながら、森の径《こみち》へ行《ゆ》きましたか、坊主は、と訊《き》いた。父も娘も、へい、と言って、大方そうだろうと言う。――もう影もなかっ
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