合所の片隅に、腰を掛けていたのである。
 日永《ひなが》の頃ゆえ、まだ暮《くれ》かかるまでもないが、やがて五時も過ぎた。場所は院線電車の万世橋《まんせいばし》の停車|場《じょう》の、あの高い待合所であった。
 柳はほんのりと萌《も》え、花はふっくりと莟《つぼ》んだ、昨日今日、緑、紅《くれない》、霞の紫、春のまさに闌《たけなわ》ならんとする気を籠《こ》めて、色の濃く、力の強いほど、五月雨《さみだれ》か何ぞのような雨の灰汁《あく》に包まれては、景色も人も、神田川の小舟さえ、皆黒い中に、紅梅とも、緋桃とも言うまい、横しぶきに、血の滴るごとき紅木瓜《べにぼけ》の、濡れつつぱっと咲いた風情は、見向うものの、面《おもて》のほてるばかり目覚しい。……
 この目覚しいのを見て、話の主人公となったのは、大学病院の内科に勤むる、学問と、手腕を世に知らるる、最近留学して帰朝した秦宗吉《はたそうきち》氏である。
 辺幅《へんぷく》を修めない、質素な人の、住居《すまい》が芝の高輪《たかなわ》にあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれから大学の所在地まで徒歩するのが習《ならい》であ
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