っぱり、けろりと仰向《あおむ》いている緋縮緬の女を、外套《がいとう》の肘《ひじ》で庇《かば》って言った。
駅員の去ったあとで、
「唯今《ただいま》、自動車を差上げますよ。」
と宗吉は、優しく顔を覗《のぞ》きつつ、丸髷の女に瞳を返して、
「巣鴨はお見合せを願えませんか。……きっと御介抱申します。私《わたくし》はこういうものです。」
なふだに医学博士――秦宗吉とあるのを見た時、……もう一人居た、散切《ざんぎり》で被布の女が、P形に直立して、Zのごとく敬礼した。これは附添の雑仕婦《ぞうしふ》であったが、――博士が、その従弟の細君に似たのをよすがに、これより前《さき》、丸髷の女に言《ことば》を掛けて、その人品のゆえに人をして疑わしめず、連《つれ》は品川の某楼の女郎で、気の狂ったため巣鴨の病院に送るのだが、自動車で行きたい、それでなければ厭《いや》だと言う。そのつもりにして、すかして電車で来ると、ここで自動車でないからと言って、何でも下りて、すねたのだと言う。……丸髷は某楼のその娘分。女郎の本名をお千と聞くまで、――この雑仕婦は物頂面《ぶっちょうづら》して睨《にら》んでいた。
不時の回診に驚いて、ある日、その助手たち、その白衣の看護婦たちの、ばらばらと急いで、しかも、静粛に駆寄るのを、徐《おもむ》ろに、左右に辞して、医学博士秦宗吉氏が、
「いえ、個人で見舞うのです……皆さん、どうぞ。」
やがて博士は、特等室にただ一人、膝も胸も、しどけない、けろんとした狂女に、何と……手に剃刀《かみそり》を持たせながら、臥床《ベッド》に跪《ひざまず》いて、その胸に額を埋めて、ひしと縋《すが》って、潸然《さんぜん》として泣きながら、微笑《ほほえ》みながら、身も世も忘れて愚に返ったように、だらしなく、涙を髯《ひげ》に伝わらせていた。
[#地から1字上げ]大正九(一九二○)年五月
底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十巻」岩波書店
1941(昭和16)年5月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:今井忠夫
2003年8月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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