膝をなえたように支《つ》きながら、お千は宗吉を背後《うしろ》に囲って、
「……この人は……」
「いや、小僧に用はない。すぐおいで。」
「宗ちゃん、……朝の御飯はね、煮豆が買って蓋《ふた》ものに、……紅生薑《べにしょうが》と……紙の蔽《おおい》がしてありますよ。」
 風俗係は草履を片手に、もう入口の襖《ふすま》を開けていた。
 お千が穿《はき》ものをさがすうちに、風俗係は、内から、戸の錠をあけたが、軒を出ると、ひたりと腰縄を打った。
 細腰はふっと消えて、すぼめた肩が、くらがりの柳に浮く。
 ……そのお千には、もう疾《とう》に、羽織もなく、下着もなく、膚《はだえ》ただ白く縞《しま》の小袖の萎《な》えたるのみ。
 宗吉は、跣足《はだし》で、めそめそ泣きながら後を追った。
 目も心も真暗《まっくら》で、町も処も覚えない。颯《さっ》と一条の冷い風が、電燈の細い光に桜を誘った時である。
「旦那。」
 とお千が立停《たちど》まって、
「宗ちゃん――宗ちゃん。」
 振向きもしないで、うなだれたのが、気を感じて、眉を優しく振向いた。
「…………」
「姉さんが、魂をあげます。」――辿《たど》りながら折ったのである。……懐紙の、白い折鶴が掌《て》にあった。
「この飛ぶ処へ、すぐおいで。」
 ほっと吹く息、薄紅《うすくれない》に、折鶴はかえって蒼白《あおじろ》く、花片《はなびら》にふっと乗って、ひらひらと空を舞って行く。……これが落ちた大《おおき》な門で、はたして宗吉は拾われたのであった。

 電車が上り下りともほとんど同時に来た。
 宗吉は身動きもしなかった。
 と見ると、丸髷《まるまげ》の女が、その緋縮緬《ひぢりめん》の傍《そば》へ衝《つ》と寄って、いつか、肩ぬげつつ裏の辷《すべ》った効性《かいしょう》のない羽織を、上から引合せてやりながら、
「さあ、来ました。」
「自動車ですか。」
 と目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ったまま、緋縮緬の女はきょろんとしていた。

       十

 年若《としわか》い駅員が、
「貴方がたは?」
 と言った。
 乗り余った黒山の群集も、三四輛立続けに来た電車が、泥まで綺麗に浚《さら》ったのに、まだ待合所を出なかった女二人、(別に一人)と宗吉をいぶかったのである。
 宗吉は言った。
「この御婦人が御病気なんです。」
 と、や
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