》戻って、段々にちょっと区劃《くぎり》のある、すぐに手を立てたように石坂がまた急になる、平面な処で、銀杏《いちょう》の葉はまだ浅し、樅《もみ》、榎《えのき》の梢《こずえ》は遠し、楯《たて》に取るべき蔭もなしに、崕《がけ》の溝端《どぶばた》に真俯向《まうつむ》けになって、生れてはじめて、許されない禁断の果《このみ》を、相馬の名に負う、轡をガリリと頬張る思いで、馬の口にかぶりついた。が、甘《うま》さと切なさと恥かしさに、堅くなった胸は、自《おのず》から溝《どぶ》の上へのめって、折れて、煎餅は口よりもかえって胃の中でボリボリと破《わ》れた。
 ト突出《つきだし》た廂《ひさし》に額を打たれ、忍返《しのびがえし》の釘に眼を刺され、赫《かっ》と血とともに総身《そうしん》が熱く、たちまち、罪ある蛇になって、攀上《よじのぼ》る石段は、お七が火の見を駆上った思いがして、頭《こうべ》に映《さ》す太陽は、血の色して段に流れた。
 宗吉はかくてまた明神の御手洗《みたらし》に、更に、氷に閑《とじ》らるる思いして、悚然《ぞっ》と寒気を感じたのである。
「くすくす、くすくす。」
 花骨牌《はちはち》の車座の、輪に身を捲《ま》かるる、危《あやう》さを感じながら、宗吉が我知らず面《おもて》を赤めて、煎餅の袋を渡したのは、甘谷の手で。
「おっと来た、めしあがれ。」
 と一枚めくって合せながら、袋をお千さんの手に渡すと、これは少々疲れた風情で、なかまへは入らぬらしい。火鉢を隔てたのが請取って、膝で覗《のぞ》くようにして開けて、
「御馳走様ですね……早速お毒見。」
 と言った。
 これにまた胸が痛んだ。だけなら、まださほどまでの仔細はなかった。
「くすくす、くすくす。」
 宗吉がこの座敷へ入りしなに、もうその忍び笑いの声が耳に附いたのであるが、この時、お千さんの一枚|撮《つま》んだ煎餅を、見ないように、ちょっと傍《わき》へかわした宗吉の顔に、横から打撞《ぶつか》ったのは小皿の平四郎。……頬骨の張った菱形の面《つら》に、窪《くぼ》んだ目を細く、小鼻をしかめて、
「くすくす。」
 とまた遣った。手にわるさに落ちたと見えて札は持たず、鍍金《めっき》の銀煙管《ぎんぎせる》を構えながら、めりやすの股引《ももひき》を前はだけに、片膝を立てていたのが、その膝頭に頬骨をたたき着けるようにして、
「くすくすくす。」
 続け
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