、もう、せめて一時《いっとき》隙《ひま》があれば、夜叉ヶ池のお雪様、遠い猪苗代の妹分に、手伝を頼もうものを。
図書 覚悟をしました。姫君、私《わたくし》を。……
夫人 私は貴方に未練がある。いいえ、助けたい未練がある。
図書 猶予をすると討手の奴《やつ》、人間なかまに屠《ほふ》られます、貴女が手に掛けて下さらずば、自分、我が手で。――(一刀を取直す。)
夫人 切腹はいけません。ああ、是非もない。それでは私が御介錯《ごかいしゃく》、舌を噛切《かみき》ってあげましょう。それと一所に、胆《きも》のたばねを――この私の胸を一思いに。
図書 せめてその、ものをおっしゃる、貴方の、ほのかな、口許《くちもと》だけも、見えたらばな。
夫人 貴方の睫毛《まつげ》一筋なりと。(声を立ててともに泣く。)
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奥なる柱の中に、大音あり。――
――待て、泣くな泣くな。――
工人、近江之丞桃六《おうみのじょうとうろく》、六十《むそ》じばかりの柔和なる老人。頭巾《ずきん》、裁着《たッつけ》、火打袋を腰に、扇を使うて顕《あらわ》る。
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