私《わたくし》は、仔細《しさい》あって、殿様の御不興を受け、お目通《めどおり》を遠ざけられ閉門の処、誰もお天守へ上《あが》りますものがないために、急にお呼出しでございました。その御上使は、実は私《わたくし》に切腹仰せつけの処を、急に御模様がえになったのでございます。
夫人 では、この役目が済めば、切腹は許されますか。
図書 そのお約束でございました。
夫人 人の生死《いきしに》は構いませんが、切腹はさしたくない。私は武士の切腹は嫌いだから。しかし、思い掛《がけ》なく、お前の生命《いのち》を助けました。……悪い事ではない。今夜はいい夜《よ》だ。それではお帰り。
図書 姫君。
夫人 まだ、居ますか。
図書 は、恐入ったる次第ではございますが、御姿を見ました事を、主人に申まして差支えはございませんか。
夫人 確《たしか》にお言いなさいまし。留守でなければ、いつでも居るから。
図書 武士の面目に存じます――御免。
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雪洞《ぼんぼり》を取って静《しずか》に退座す。夫人|長煙管《ながぎせる》を取って、払《はた》く音に、図書板敷にて一度|留《とど》まり、直ちに階子《はしご》の口
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