ああ、目が見えない。(押倒され、取って伏せらる)無念。
夫人 (獅子の頭をあげつつ、すっくと立つ。黒髪乱れて面《おもて》凄《すご》し。手に以前の生首の、もとどりを取って提ぐ)誰の首だ、お前たち、目のあるものは、よっく見よ。(どっしと投ぐ。)
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――討手わッと退き、修理、恐る恐るこれを拾う。
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修理 南無三宝《なむさんぽう》。
九平 殿様の首だ。播磨守|様御首《みしるし》だ。
修理 一大事とも言いようなし。御同役、お互に首はあるか。
九平 可恐《おそろし》い魔ものだ。うかうかして、こんな処に居べきでない。
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討手一同、立つ足もなく、生首をかこいつつ、乱れて退く。
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図書 姫君、どこにおいでなさいます。姫君。
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夫人、悄然《しょうぜん》として、立ちたるまま、もの言わず。
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図書 (あわれに寂しく手探り)姫君、どこにおいでなさいます。私《わたくし》は目が見えなくなりました。姫君。
夫人 (忍び泣きに泣く)貴方、私も目が見えなくなりました。
図書 ええ。
夫人 侍女《こしもと》たち、侍女たち。――せめては燈《あかり》を――
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――皆、盲目《めくら》になりました。誰も目が見えませんのでございます。――(口々に一同はっと泣く声、壁の彼方《かなた》に聞ゆ。)
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夫人 (獅子頭とともにハタと崩折《くずお》る)獅子が両眼を傷つけられました。この精霊《しょうりょう》で活きましたものは、一人も見えなくなりました。図書様、……どこに。
図書 姫君、どこに。
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さぐり寄りつつ、やがて手を触れ、はっと泣き、相抱《あいいだ》く。
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夫人 何と申そうようもない。貴方お覚悟をなさいまし。今持たせてやった首も、天守を出れば消えましょう。討手は直ぐに引返して参ります。私一人は、雲に乗ります、風に飛びます、虹《にじ》の橋も渡ります。図書様には出来ません。ああ口惜《くやし》い。あれら討手のものの目に、蓑笠着ても天人の二人揃った姿を見せて、日の出、月の出、夕日影にも、おがませようと思ったのに、私の方が盲目になっては、ただお生命《いのち》さえ助けられない。堪忍して下さいまし。
図書 くやみません! 姫君、あなたのお手に掛けて下さい。
夫人 ええ、人手には掛けますまい。そのかわり私も生きてはおりません、お天守の塵《ちり》、煤《すす》ともなれ、落葉になって朽ちましょう。
図書 やあ、何のために貴女が、美しい姫の、この世にながらえておわすを土産に、冥土《めいど》へ行《ゆ》くのでございます。
夫人 いいえ、私も本望でございます、貴方のお手にかかるのが。
図書 真実のお声か、姫君。
夫人 ええ何の。――そうおっしゃる、お顔が見たい、ただ一目。……千歳《ちとせ》百歳《ももとせ》にただ一度、たった一度の恋だのに。
図書 ああ、私《わたくし》も、もう一目、あの、気高い、美しいお顔が見たい。(相縋《あいすが》る。)
夫人 前世も後世《ごせ》も要らないが、せめてこうして居とうござんす。
図書 や、天守下で叫んでいる。
夫人 (屹《きっ》となる)口惜《くや》しい、もう、せめて一時《いっとき》隙《ひま》があれば、夜叉ヶ池のお雪様、遠い猪苗代の妹分に、手伝を頼もうものを。
図書 覚悟をしました。姫君、私《わたくし》を。……
夫人 私は貴方に未練がある。いいえ、助けたい未練がある。
図書 猶予をすると討手の奴《やつ》、人間なかまに屠《ほふ》られます、貴女が手に掛けて下さらずば、自分、我が手で。――(一刀を取直す。)
夫人 切腹はいけません。ああ、是非もない。それでは私が御介錯《ごかいしゃく》、舌を噛切《かみき》ってあげましょう。それと一所に、胆《きも》のたばねを――この私の胸を一思いに。
図書 せめてその、ものをおっしゃる、貴方の、ほのかな、口許《くちもと》だけも、見えたらばな。
夫人 貴方の睫毛《まつげ》一筋なりと。(声を立ててともに泣く。)
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奥なる柱の中に、大音あり。――
――待て、泣くな泣くな。――
工人、近江之丞桃六《おうみのじょうとうろく》、六十《むそ》じばかりの柔和なる老人。頭巾《ずきん》、裁着《たッつけ》、火打袋を腰に、扇を使うて顕《あらわ》る。
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