恐しと存じておるゆえ、いささか躊躇《ちゅうちょ》はいたしますが、既に、私《わたくし》の、かく参ったを、認めております。こう云う中にも、たった今。
夫人 ああ、それもそう、何より前《さき》に、貴方をおかくまい申しておこう。(獅子頭を取る、母衣《ほろ》を開いて、図書の上に蔽《おお》いながら)この中へ……この中へ――
図書 や、金城鉄壁。
夫人 いいえ、柔い。
図書 仰《おおせ》の通り、真綿よりも。
夫人 そして、確《しっ》かり、私におつかまりなさいまし。
図書 失礼御免。
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夫人の背《せな》よりその袖に縋《すが》る。縋る、と見えて、身体《からだ》その母衣の裾《すそ》なる方《かた》にかくる。獅子頭を捧げつつ、夫人の面《おもて》、なお母衣の外に見ゆ。
討手どやどやと入込《いりこ》み、と見てわっと一度退く時、夫人も母衣に隠る。ただ一頭青面の獅子猛然として舞台にあり。
討手。小田原|修理《しゅり》、山隅|九平《くへい》、その他。抜身《ぬきみ》の槍《やり》、刀。中には仰山に小具足をつけたるもあり。大勢。
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九平 (雪洞《ぼんぼり》を寄す)やあ、怪《あや》しく、凄《すご》く、美しい、婦《おんな》の立姿と見えたはこれだ。
修理 化《ばけ》るわ化るわ。御城の瑞兆《ずいちょう》、天人のごとき鶴を御覧あって、殿様、鷹を合せたまえば、鷹はそれて破蓑《やれみの》を投落す、……言語道断。
九平 他《ほか》にない、姫川図書め、死《しに》ものぐるいに、確にそれなる獅子母衣に潜ったに相違なし。やあ、上意だ、逆賊|出合《いであ》え。山隅九平向うたり。
修理 待て、山隅、先方で潜った奴《やつ》だ。呼んだって出やしない。取って押え、引摺出《ひきずりだ》せ。
九平 それ、面々。
修理 気を着けい、うかつにかかると怪我をいたす。元来この青獅子《あおじし》が、並大抵のものではないのだ。伝え聞く。な、以前これは御城下はずれ、群鷺山《むらさぎやま》の地主神《じしゅじん》の宮に飾ってあった。二代以前の当城殿様、お鷹狩の馬上から――一人|町里《まちさと》には思いも寄らぬ、都方《みやこがた》と見えて、世にも艶麗《あでやか》な女の、一行を颯《さっ》と避けて、その宮へかくれたのを――とろんこの目で御覧《ごろう》じたわ。此方《こなた》は鷹狩、もみじ山だが、いずれ戦《いくさ》に負けた国の、上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》、貴女、貴夫人たちの落人《おちうど》だろう。絶世の美女だ。しゃつ掴出《つかみいだ》いて奉れ、とある。御近習、宮の中へ闖入《ちんにゅう》し、人妻なればと、いなむを捕えて、手取足取しようとしたれば、舌を噛《か》んで真俯向《まうつむ》けに倒れて死んだ。その時にな、この獅子頭を熟《じっ》と視《み》て、あわれ獅子や、名誉の作かな。わらわにかばかりの力あらば、虎狼《とらおおかみ》の手にかかりはせじ、と吐《ほざ》いた、とな。続いて三年、毎年、秋の大洪水よ。何が、死骸《しがい》取片づけの山神主が見た、と申すには、獅子が頭《かしら》を逆《さかしま》にして、その婦《おんな》の血を舐《な》め舐め、目から涙を流いたというが触出《ふれだ》しでな。打続く洪水は、その婦《おんな》の怨《うらみ》だと、国中の是沙汰《これざた》だ。婦《おんな》が前髪にさしたのが、死ぬ時、髪をこぼれ落ちたというを拾って来て、近習が復命をした、白木に刻んだ三輪|牡丹高彫《ぼたんたかぼり》のさし櫛《ぐし》をな、その時の馬上の殿様は、澄《すま》して袂《たもと》へお入れなさった。祟《たたり》を恐れぬ荒気の大名。おもしろい、水を出さば、天守の五重を浸《ひた》して見よ、とそれ、生捉《いけど》って来てな、ここへ打上げたその獅子頭だ。以来、奇異|妖変《ようへん》さながら魔所のように沙汰する天守、まさかとは思うたが、目《ま》のあたり不思議を見るわ。――心してかかれ。
九平 心得た、槍をつけろ。
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討手、槍にて立ちかかる。獅子狂う。討手|辟易《へきえき》す。修理、九平等、抜連れ抜連れ一同|立掛《たちかか》る。獅子狂う。また辟易す。
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修理 木彫にも精がある。活《い》きた獣も同じ事だ。目を狙《ねら》え、目を狙え。
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九平、修理、力を合せて、一刀《ひとたち》ずつ目を傷《きずつ》く、獅子伏す。討手その頭《かしら》をおさう。
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図書 (母衣《ほろ》を撥退《はねの》け刀を揮《ふる》って出づ。口々に罵《ののし》る討手と、一刀合すと斉《ひと》しく)
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