と申すよ。――縁だねえ。
薄 きっと御縁がござりますよ。
夫人 私もどうやら、そう思うよ。
薄 奥様、いくら貴女のお言葉でも、これはちと痛入《いたみい》りました。
夫人 私も痛入りました。
薄 これはまた御挨拶でござります――あれ、何やら、御天守下が騒がしい。(立って欄干に出づ、遥《はるか》に下を覗込《のぞきこ》む)……まあ、御覧なさいまし。
夫人 (座のまま)何だえ。
薄 武士が大勢で、篝《かがり》を焚《た》いております。ああ、武田播磨守殿、御出張、床几《しょうぎ》に掛《かか》ってお控えだ。おぬるくて、のろい癖に、もの見高な、せっかちで、お天守見届けのお使いの帰るのを待兼ねて、推出《おしだ》したのでござります。もしえもしえ、図書様のお姿が小さく見えます。奥様、おたまじゃくしの真中《まんなか》で、御紋着《ごもんつき》の御紋も河骨《こうぼね》、すっきり花が咲いたような、水際立ってお美しい。……奥様。
夫人 知らないよ。
薄 おお、兜あらためがはじまりました。おや、吃驚《びっくり》した。あの、殿様の漆みたいな太い眉毛が、びくびくと動きますこと。先刻《さっき》の亀姫様のお土産の、兄弟の、あの首を見せたら、どうでございましょう。ああ、御家老が居ます。あの親仁《おやじ》も大分百姓を痛めて溜込《ためこ》みましたね。そのかわり頭が兀《は》げた。まあ、皆《みんな》が図書様を取巻いて、お手柄にあやかるのかしら。おや、追取刀《おっとりがたな》だ。何、何、何、まあ、まあ、奥様々々。
夫人 もう可い。
薄 ええ、もう可いではございません。図書様を賊だ、と言います。御秘蔵の兜を盗んだ謀逆人《むほんにん》、謀逆人、殿様のお首に手を掛けたも同然な逆賊でございますとさ。お庇《かげ》で兜が戻ったのに。――何てまあ、人間というものは。――あれ、捕手《とりて》が掛《かか》った。忠義と知行で、てむかいはなさらぬかしら。しめた、投げた、嬉しい。そこだ。御家老が肩衣《かたぎぬ》を撥《はね》ましたよ。大勢が抜連れた。あれ危い。豪《えら》い。図書様抜合せた。……一人腕が落ちた。あら、胴切《どうぎり》。また何も働かずとも可いことを、五両|二人扶持《ににんぶち》らしいのが、あら、可哀相《かわいそう》に、首が飛びます。
夫人 秀吉時分から、見馴《みな》れていながら、何だねえ、騒々しい。
薄 騒がずにはいられません。多勢に一人、あら切抜けた、図書様がお天守に遁込《にげこ》みました。追掛けますよ。槍《やり》まで持出した。(欄干をするすると)図書様が、二重へ駈上《かけあが》っておいでなさいます。大勢が追詰めて。
夫人 (片膝立つ)可《よ》し、お手伝い申せ。
薄 お腰元衆、お腰元衆。――(呼びつつ忙《せわ》しく階子《はしご》を下り行く。)
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夫人、片手を掛けつつ几帳越に階子の方を瞰下《みおろ》す。
――や、や、や、――激しき人声、もの音、足蹈《あしぶみ》。――
図書、もとどりを放ち、衣服に血を浴ぶ。刀を振《ふる》って階子の口に、一度|屹《きつ》と下を見込む。肩に波打ち、はっと息して※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》となる。
[#ここで字下げ終わり]
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夫人 図書様。
図書 (心づき、蹌踉《よろよろ》と、且つ呼吸《いき》せいて急いで寄る)姫君、お言葉をも顧みず、三度の推参をお許し下さい。私《わたくし》を賊……賊……謀逆人《むほんにん》、逆賊と申して。
夫人 よく存じておりますよ。昨日今日、今までも、お互に友と呼んだ人たちが、いかに殿の仰せとて、手の裏を反《かえ》すように、ようまあ、あなたに刃《やいば》を向けます。
図書 はい、微塵《みじん》も知らない罪のために、人間同志に殺されましては、おなじ人間、断念《あきら》められない。貴女《あなた》のお手に掛《かか》ります。――御禁制《ごきんぜい》を破りました、御約束を背きました、その罪に伏します。速《すみやか》に生命《いのち》をお取り下されたい。
夫人 ええ、武士《さむらい》たちの夥間《なかま》ならば、貴方のお生命を取りましょう。私と一所には、いつまでもお活きなさいまし。
図書 (急《せ》きつつ)お情《なさけ》余る、お言葉ながら、活きようとて、討手の奴儕《やつばら》、決して活かしておきません。早くお手に掛け下さいまし。貴女に生命を取らるれば、もうこの上のない本望、彼等に討たるるのは口惜《くちおし》い。(夫人の膝に手を掛く)さ、生命《いのち》を、生命を――こう云う中《うち》にも取詰めて参ります。
夫人 いいえ、ここまでは来ますまい。
図書 五重の、その壇、その階子を、鼠のごとく、上《あが》りつ下りついたしおる。……かねての風説、鬼神《おにがみ》より、魔よりも、ここを
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