い。おかしいやら、気の毒やら、ねえ、お前。
薄 はい。
夫人 私はね、群鷺《むらさぎ》ヶ|峰《みね》の山の端《は》に、掛稲《かけいね》を楯《たて》にして、戻道《もどりみち》で、そっと立って視《なが》めていた。そこには昼の月があって、雁金《かりがね》のように(その水色の袖を圧《おさ》う)その袖に影が映った。影が、結んだ玉ずさのようにも見えた。――夜叉ヶ池のお雪様は、激《はげし》いなかにお床《ゆか》しい、野はその黒雲《くろくも》、尾上《おのえ》は瑠璃《るり》、皆、あの方のお計らい。それでも鷹狩の足も腰も留めさせずに、大風と大雨で、城まで追返しておくれの約束。鷹狩たちが遠くから、松を離れて、その曠野を、黒雲の走る下に、泥川のように流れてくるに従って、追手《おいて》の風の横吹《よこしぶき》。私が見ていたあたりへも、一|村雨《むらさめ》颯《さっ》とかかったから、歌も読まずに蓑をかりて、案山子の笠をさして来ました。ああ、そこの蜻蛉《とんぼ》と鬼灯《ほおずき》たち、小児《こども》に持たして後ほどに返しましょう。
薄 何の、それには及びますまいと存じます。
夫人 いえいえ、農家のものは大切だから、等閑《なおざり》にはなりません。
薄 その儀は畏《かしこま》りました。お前様、まあ、それよりも、おめしかえを遊ばしまし、おめしものが濡れまして、お気味が悪うござりましょう。
夫人 おかげで濡れはしなかった。気味の悪い事もないけれど、隔てぬ中の女同士も、お亀様に、このままでは失礼だろう。(立つ)着換えましょうか。
女郎花 ついでに、お髪《ぐし》も、夫人様《だんなさま》
夫人 ああ、あげてもらおうよ。
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夫人に続いて、一同、壁の扉に隠る。女童《めのわらわ》のこりて、合唱す――
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ここはどこの細道じゃ、細道じゃ。
天神様の細道じゃ、細道じゃ。
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時に棟に通ずる件《くだん》の階子《はしご》を棟よりして入来《いりきた》る、岩代国《いわしろのくに》麻耶郡《まやごおり》猪苗代の城、千畳敷の主《ぬし》、亀姫の供頭《ともがしら》、朱の盤坊、大山伏の扮装《いでたち》、頭に犀《さい》のごとき角一つあり、眼《まなこ》円《つぶら》かに面《つら》の色朱よりも赤く、手と脚、瓜《うり》に似て青し。白布《しろぬの》にて蔽《おお》うたる一個の小桶《こおけ》を小脇に、柱をめぐりて、内を覗《のぞ》き、女童の戯《たわむ》るるを視《み》つつ破顔して笑う
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朱の盤 かちかちかちかち。
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歯を噛鳴《かみな》らす音をさす。女童等、走り近《ちかづ》く時、面《つら》を差寄せ、大口|開《あ》く。
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もおう!(獣の吠《ほ》ゆる真似して威《おど》す。)
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女董一 可厭《いや》な、小父《おじ》さん。
女童二 可恐《こわ》くはありませんよ。
朱の盤 だだだだだ。(濁れる笑《わらい》)いや、さすがは姫路お天守の、富姫御前の禿《かむろ》たち、変化心《へんげごころ》備わって、奥州第一の赭面《あかつら》に、びくともせぬは我折《がお》れ申す。――さて、更《あらた》めて内方《うちかた》へ、ものも、案内を頼みましょう。
女童三 屋根から入った小父さんはえ?
朱の盤 これはまた御挨拶《ごあいさつ》だ。ただ、猪苗代から参ったと、ささ、取次、取次。
女童一 知らん。
女童三 べいい。(赤べろする。)
朱の盤 これは、いかな事――(立直る。大音に)ものも案内。
薄 どうれ。(壁より出迎う)いずれから。
朱の盤 これは岩代国|会津郡《あいづごおり》十文字ヶ原|青五輪《あおごわ》のあたりに罷在《まかりあ》る、奥州変化の先達《せんだつ》、允殿館《いんでんかん》のあるじ朱の盤坊でござる。すなわち猪苗代の城、亀姫君の御供をいたし罷出《まかりで》ました。当お天守富姫様へ御取次を願いたい。
薄 お供御苦労に存じ上げます。あなた、お姫様《ひいさま》は。
朱の盤 (真仰向《あおむ》けに承塵《てんじょう》を仰ぐ)屋の棟に、すでに輿《かご》をばお控えなさるる。
薄 夫人《うちかた》も、お待兼ねでございます。
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手を敲《たた》く。音につれて、侍女三人出づ。斉《ひと》しく手をつく。
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早や、御入《おんい》らせ下さりませ。
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朱の盤 (空へ云う)輿傍《かごわき》へ申す。此方《こなた》にもお待《まち》うけじゃ。――姫君、これへお入《い》りのよう、舌長姥《したながうば》、取次がっせえ。
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