、人の身体《からだ》に着るのではなく、雨露《あめつゆ》を凌《しの》ぐため、破家《あばらや》に絡《まと》うて置くのかと思つた。
蜂《はち》の巣のやう穴だらけで、炉の煙は幾条《いくすじ》にもなつて此処《ここ》からも潜《もぐ》つて壁の外へ染《にじ》み出す、破屏風《やれびょうぶ》を取《とり》のけて、さら/\と手に触れると、蓑はすつぽりと梁《はり》を放《はな》れる。
下に、絶壁の磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]《こうかく》たる如く、壁に雨漏の線が入つた処《ところ》に、すらりとかゝつた、目覚《めざめ》るばかり色好《いろよ》き衣《きぬ》、恁《かか》る住居《すまい》に似合ない余りの思ひがけなさに、媼《おうな》の通力《つうりき》、枯野《かれの》忽《たちま》ち深山《みやま》に変じて、こゝに蓑の滝、壁の巌《いわお》、もみぢの錦《にしき》かと思つたので。
桂木は目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて、
「お媼《ばあ》さん。」
「おゝ、其ぢや、何と丁《ちょう》どよからうがの、取つて掻巻《かいまき》にさつしやれいなう。」
裳《もすそ》は畳《たたみ》につくばかり、細く褄《つま》を引合《ひきあわ》せた、両袖《りょうそで》をだらりと、固《もと》より空蝉《うつせみ》の殻なれば、咽喉《のど》もなく肩もない、襟《えり》を掛けて裏返しに下げてある、衣紋《えもん》は梁《うつばり》の上に日の通さぬ、薄暗い中《うち》に振仰《ふりあお》いで見るばかりの、丈《たけ》長《なが》き女の衣《きぬ》、低い天井から桂木の背《せな》を覗《のぞ》いて、薄煙《うすけむり》の立迷《たちまよ》ふ中に、一本《ひともと》の女郎花《おみなえし》、枯野《かれの》に彳《たたず》んで淋《さみ》しさう、然《しか》も何《なん》となく活々《いきいき》して、扱帯《しごき》一筋《ひとすじ》纏《まと》うたら、裾《すそ》も捌《さば》かず、手足もなく、俤《おもかげ》のみがすら/\と、炉の縁《ふち》を伝ふであらう、と桂木は思はず退《すさ》つた。
「大事ない/\、袷《あわせ》ぢやけれどの、濡《ぬ》れた上衣《うわぎ》よりは増《まし》でござろわいの、主《ぬし》も分つてある、麗《あでやか》な娘のぢやで、お前様に殆《ちょう》ど可《よ》いわ、其主《そのぬし》もまたの、お前様のやうな、少《わか》い綺麗《きれい》な人と寝たら本望《ほんもう》ぢやろ、はゝはゝはゝ。」
腹蔵《ふくぞう》なく大笑《おおわらい》をするので、桂木は気を取直《とりなお》して、密《そっ》と先《ま》づ其の袂《たもと》の端に手を触れた。
途端に指の尖《さき》を氷のやうな針で鋭く刺さうと、天窓《あたま》から冷《ひや》りとしたが、小袖《こそで》はしつとりと手にこたへた、取り外《はず》し、小脇に抱く、裏が上になり、膝《ひざ》のあたり和《やわら》かに、褄《つま》しとやかに袷の裾なよ/\と畳に敷いて、襟は仰向《あおむ》けに、譬《たとえ》ば胸を反《そ》らすやうにして、桂木の腕にかゝつたのである。
さて見れば、鼠縮緬《ねずみちりめん》の裾廻《すそまわし》、二枚袷《にまいあわせ》の下着と覚《おぼ》しく、薄兼房《うすけんぼう》よろけ縞《じま》のお召縮緬《めしちりめん》、胴抜《どうぬき》は絞つたやうな緋の竜巻、霜《しも》に夕日の色|染《そ》めたる、胴裏《どううら》の紅《くれない》冷《つめた》く飜《かえ》つて、引けば切れさうに振《ふり》が開《あ》いて、媼《おうな》が若き時の名残《なごり》とは見えず、当世の色あざやかに、今脱いだかと媚《なまめ》かしい。
熟《じっ》と見るうちに我にもあらず、懐しく、床《ゆか》しく、いとしらしく、殊《こと》にあはれさが身に染《し》みて、まゝよ、ころりと寝て襟のあたりまで、銃を枕に引《ひっ》かぶる気になつた、ものの情《なさけ》を知るものの、恁《か》くて妖魔の術中に陥《おちい》らうとは、いつとはなしに思ひ思はず。
九
「はゝはゝ、見れば見るほど良い孫ぢやわいなう、何《ど》うぢや、少しは落着《おちつ》かしやつたか、安堵《あんど》して休まつしやれ。したがの、長いことはならぬぞや、疲労《くたびれ》が治つたら、早く帰らつしやれ。
お前さま先刻《さき》のほど、血相《けっそう》をかへて謂《い》はしつた、何か珍しいことでもあらうかと、生命《いのち》がけでござつたとの。良いにつけ、悪いにつけ、此処等《ここら》人の来《こ》ぬ土地《ところ》へ、珍しいお客様ぢや。
私《わし》がの、然《そ》うやつてござるあひだ、お伽《とぎ》に土産話《みやげばなし》を聞かせましよ。」
と下にも置かず両の手で、静《しずか》に糸を繰《く》りながら、
「他《ほか》の事ではないがの、今かけてござる其の下着ぢや。」
桂木は何時《いつ》かうつら/\して居た
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