ひら》いてじつと、此の媼の目は、怪しく光つた如くに思はれたから、桂木は箸《はし》を置き、心で身構《みがまえ》をして、
「これかね。」と言ふをきツかけに、ずらして取つて引寄せた、空の模様、小雨《こさめ》の色、孤家《ひとつや》の裡《うち》も、媼の姿も、さては炉の中の火さへ淡く、凡《すべ》て枯野《かれの》に描かれた、幻の如き間《あいだ》に、ポネヒル連発銃の銃身のみ、青く閃《きらめ》くまで磨ける鏡かと壁を射《い》て、弾込《たまごめ》したのがづツしり手応《てごたえ》。
 我ながら頼母《たのも》しく、
「何、まあね、何《ど》うぞこれを打つことのないやうにと、内々《ないない》祈つて居るんだよ。」
「其はまた何といふわけでござらうの。」と澄《すま》して、例の糸を繰《く》る、五体は悉皆《しっかい》、車の仕かけで、人形の動くやう、媼は少頃《しばらく》も手を休めず。
 驚破《すわ》といふ時、綿《わた》の条《すじ》を射切《いき》つたら、胸に不及《およばず》、咽喉《のんど》に不及《およばず》、玉《たま》の緒《お》は絶《た》えて媼は唯《ただ》一個《いっこ》、朽木《くちき》の像にならうも知れぬ。
 と桂木は心の裡《うち》。

        四

 構はず兵糧《ひょうろう》を使ひつゝ、
「だつてお媼《ばあ》さん、此の野原は滅多《めった》に人の通らない処《ところ》だつて聞いたからさ。」
「そりや最《も》う眺望《ながめ》というても池一つあるぢやござらぬ、纔《わずか》ばかりの違《ちがい》でなう、三島はお富士山《ふじさま》の名所ぢやに、此処《ここ》は恁《こ》う一目千里《ひとめせんり》の原なれど、何が邪魔《じゃま》をするか見えませぬ、其れぢやもの、ものずきに来る人は無いのぢやわいなう。」
「否《いいえ》さ、景色がよくないから遊山《ゆさん》に来《こ》ぬの、便利が悪いから旅の者が通行せぬのと、そんなつい通りのことぢやなくさ、私たちが聞いたのでは、此の野中《のなか》へ入ることを、俗に身を投げると言ひ伝へて、無事にや帰られないんださうではないか。」
「それはお客様、此処《ここ》といふ限《かぎり》はござるまいがなう、躓《つまず》けば転びもせず、転びやうが悪ければ怪我《けが》もせうず、打処《うちどころ》が悪ければ死にもせうず、野でも山でも海でも川でも同じことでござるわなう、其につけても、然《そ》う又《また》人のいふ処《ところ》へ、お前様は何をしに来さつしやつた。」
 じろりと流盻《しりめ》に見ていつた。
 桂木はぎよつとしたが、
「理窟《りくつ》を聞くんぢやありません、私はね、実はお前さんのやうな人に逢《あ》つて、何か変つた話をして貰《もら》はう、見られるものなら見ようと思つて、遙々《はるばる》出向いて来たんだもの。人間の他《ほか》に歩行《ある》くものがあるといふから、扨《さて》こそと乗つかゝりや、霧や雲の動くことになつて了《しま》ふし、活《い》かしちや返さぬやうな者が住んででも居るやうに聞いたから、其を尋ねりや、怪我《けが》過失《あやまち》は所を定めないといふし、それぢや些《ちっ》とも張合《はりあい》がありやしない、何か珍しいことを話してくれませんか、私はね。」
 膝《ひざ》を進めて、瞳《ひとみ》を据《す》ゑ、
「私はね、お媼《ばあ》さん、風説《うわさ》を知りつゝ恁《こ》うやつて一人で来た位だから、打明けて云ひます、見受けた処《ところ》、君は何だ、様子が宛然《まるで》野の主《ぬし》とでもいふべきぢやないか、何の馬鹿々々《ばかばか》しいと思ふだらうが、好事《ものずき》です、何《ど》うぞ一番《ひとつ》構はず云つて聞かしてくれ給《たま》へな。
 恁《こ》ういふと何かお妖《ばけ》の催促をするやうでをかしいけれど、焦《じ》れツたくツて堪《たま》らない。
 素《もと》より其のつもりぢや来たけれど、私だつて、これ当世の若い者、はじめから何、人の命を取るたつて、野に居る毒虫か、函嶺《はこね》を追はれた狼《おおかみ》だらう、今時《いまどき》詰《つま》らない妖者《ばけもの》が居てなりますか、それとも野伏《のぶせ》り山賊《やまだち》の類《たぐい》ででもあらうかと思つて来たんです。霧が毒だつたり、怪我《けが》過失《あやまち》だつたり、心の迷《まよい》ぐらゐなことは実は此方《こっち》から言ひたかつた。其をあつちこつちに、お前さんの口から聞かうとは思はなかつた。其の癖、此方《こっち》はお媼《ばあ》さん、お前さんの姿を見てから、却《かえ》つて些《ち》と自分の意見が違つて来て、成程《なるほど》これぢや怪しいことのないとも限らぬか、と考へてる位なんだ。
 お聞きなさい、私が縁続きの人はね、商人《あきうど》で此の節《せつ》は立派に暮して居るけれど、若いうち一時《ひとしきり》困つたことがあつて、瀬戸《せと》のしけ
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