ものを背負《しょ》つて、方々国々を売つて歩行《ある》いて、此の野に行暮《ゆきく》れて、其の時|草《くさ》茫々《ぼうぼう》とした中に、五六本|樹立《こだち》のあるのを目当に、一軒家へ辿《たど》り着いて、台所口から、用を聞きながら、旅に難渋《なんじゅう》の次第を話して、一晩泊めて貰《もら》ふとね、快く宿をしてくれて、何《ど》うして何《ど》うして行暮れた旅商人《たびあきうど》如きを、待遇《もてな》すやうなものではない、銚子《ちょうし》杯《さかずき》が出る始末、少《わか》い女中が二人まで給仕について、寝るにも紅裏《べにうら》の絹布《けんぷ》の夜具《やぐ》、枕頭《まくらもと》で佳《い》い薫《かおり》の香《こう》を焚《た》く。容易ならぬ訳さ、せめて一生に一晩は、恁《こ》ういふ身の上にと、其の時分は思つた、其の通《とお》つたもんだから、夢なら覚めるなと一夜《ひとや》明かした迄は可《よ》かつたさうだが。
翌日《あくるひ》になると帰さない、其晩《そのばん》女中が云ふには、お奥で館《やかた》が召しますつさ。
其の人は今でも話すがね、館といつたのは、其は何《ど》うも何とも気高い美しい婦人《おんな》ださうだ。しかし何分《なにぶん》生胆《いきぎも》を取られるか、薬の中へ錬込《ねりこ》まれさうで、恐《こわ》さが先に立つて、片時も目を瞑《ねむ》るわけには行《ゆ》かなかつた。
私が縁続きの其の人はね、親類うちでも評判の美男だつたのです。」
五
桂木は伸びて手首を蔽《おお》はんとする、襯衣《しゃつ》の袖《そで》を捲《ま》き上げたが、手も白く、戦《たたかい》を挑《いど》むやうではない優《おとな》しやかなものであつた、けれども、世に力あるは、却《かえ》つて恁《かか》る少年の意を決した時であらう。
「さあ、館《やかた》の心に従ふまでは、村へも里へも帰さぬといつたが、別に座敷牢へ入れるでもなし、木戸の扉も葎《むぐら》を分けて、ぎいと開《あ》け、障子も雨戸も開放《かいほう》して、真昼間《まっぴるま》、此の野を抜けて帰らるゝものなら、勝手に帰つて御覧なさいと、然《さ》も軽蔑をしたやうに、あは、あは笑ふと両方の縁《えん》へふたつに別れて、二人の其の侍女《こしもと》が、廊下づたひに引込むと、あとはがらんとして畳数《たたみかず》十五|畳《じょう》も敷けようといふ、広い座敷に唯《たった》一人《ひとり》。」
折から炉の底にしよんぼりとする、掬《すく》ふやうにして手づから燻《いぶ》した落葉の中に二枚《ふたひら》ばかり荊《いばら》の葉の太《いた》く湿つたのがいぶり出した、胸のあたりへ煙が弱く、いつも勢《いきおい》よくは焚《た》かぬさうで冷《つめた》い灰を、舐《な》めるやうにして、一《ひと》ツ蜒《うね》つて這《は》ひ上《あが》るのを、肩で乱して払ひながら、
「煙《けむ》い。其までは宛然《まるで》恁《こ》う、身体《からだ》へ絡《まつわ》つて、肩を包むやうにして、侍女《こしもと》の手だの、袖だの、裾《すそ》だの、屏風《びょうぶ》だの、襖《ふすま》だの、蒲団《ふとん》だの、膳《ぜん》だの、枕だのが、あの、所狭《ところせま》きまでといふ風であつたのが、不残《のこらず》ずツと引込んで、座敷の隅々《すみずみ》へ片着《かたづ》いて、右も左も見通しに、開放《あけはな》しの野原も急に広くなつたやうに思はれたと言ひます。
然《そ》うすると、急に秋風が身に染《し》みて、其の男はぶる/\と震へ出したさうだがね、寂閑《しんかん》として人《ひと》ツ児《こ》一人《ひとり》居さうにもない。
夢か現《うつつ》かと思う位。」
桂木は語りながら、自《みずか》ら其の境遇に在《あ》る如く、
「目を瞑《ねむ》つて耳を澄《すま》して居ると、二重、三重、四重ぐらゐ、壁越《かべごし》に、琴《こと》の糸に風が渡つて揺れるやうな音で、細《ほそ》く、ひゆう/\と、お媼《ばあ》さん、今お前さんが言つてる其の糸車だ。
此の炉を一《ひと》ツ、恁《こ》うして爰《ここ》で聞いて居てさへ遠い処《ところ》に聞えるが、其《その》音が、幽《かすか》にしたとね。
其時《そのとき》茫乎《ぼんやり》と思ひ出したのは、昨夜《ゆうべ》の其の、奥方だか、姫様《ひいさま》だか、それとも御新姐《ごしんぞ》だか、魔だか、鬼だか、お閨《ねや》へ召しました一件のお館《やかた》だが、当座は唯《ただ》赫《かっ》と取逆上《とりのぼせ》て、四辺《あたり》のものは唯《ただ》曇つた硝子《ビイドロ》を透かして、目に映つたまでの事だつたさうだけれど。
緋の袴《はかま》を穿《は》いても居なけりや、掻取《かいどり》を着ても届ない、たゞ、輝々《きらきら》した蒔絵《まきえ》ものが揃《そろ》つて、あたりは神々《こうごう》しかつた。狭い一室《ひとま》に、束髪《たばねが
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