肌を包むやうな、掻巻《かいまき》の情《なさけ》に半《なか》ば眼《まなこ》を閉ぢた。
驚破《すわ》といへば、射《い》て落《おと》さんず心も失《う》せ、はじめの一念《いちねん》も疾《と》く忘れて、野《の》にありといふ古社《ふるやしろ》、其の怪《あやしみ》を聞かうともせず、目《ま》のあたりに車を廻すあからさまな媼《おうな》の形も、其のまゝ舁《か》き移すやうに席《むしろ》を彼方《あなた》へ、小さく遠くなつたやうな思ひがして、其の娘も犠《にえ》の仔細も、媼の素性《すじょう》も、野の状《さま》も、我が身のことさへ、夢を見たら夢に一切知れようと、ねむさに投げ出した心の裡《うち》。
却《かえ》つて爰《ここ》に人あるが如く、横に寝た肩に袖《そで》がかゝつて、胸にひつたりとついた胴抜《どうぬき》の、媚《なまめ》かしい下着の襟《えり》を、口を結んで熟《じっ》と見て、噫《ああ》、我が恋人は他《た》に嫁《か》して、今は世に亡《な》き人となりぬ。
我も生命《いのち》も惜《おし》まねばこそ、恁《かか》る野にも来《きた》りしなれ、何《ど》うなりとも成るやうになつて止《や》め! 之《これ》も犠《にえ》になつたといふ、あはれな記念《かたみ》の衣《ころも》哉《かな》、としきりに果敢《はかな》さに胸がせまつて、思はず涙ぐむ襟許《えりもと》へ、颯《さっ》と冷《つめた》い風。
枯野《かれの》の冷《ひえ》が一幅《ひとはば》に細く肩の隙《すき》へ入つたので、しつかと引寄せた下着の背《せな》、綿《わた》もないのに暖《あたたか》く二《に》の腕《うで》へ触れたと思ふと、足を包んだ裳《もすそ》が揺れて、絵の婦人《おんな》の、片膝《かたひざ》立てたやうな皺《しわ》が、袷《あわせ》の縞《しま》なりに出来て、しなやかに美しくなつた。
※[#「口+阿」、第4水準2−4−5]呀《あなや》と見ると、女の俤《おもかげ》。
十
眉《まゆ》長く、瞳《ひとみ》黒く、色雪の如きに、黒髪の鬢《びん》乱れ、前髪の根も分《わか》るゝばかり鼻筋《はなすじ》の通つたのが、寝ながら桂木の顔を仰ぐ、白歯《しらは》も見えた涙の顔に、得《え》も謂《い》はれぬ笑《えみ》を含んで、ハツとする胸に、媼《おうな》が糸を繰《く》る音とともに幽《かすか》に響いて、
「主《ぬし》のあるものですが、一所《いっしょ》に死んで下さいませんか。」と声
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