が、ぱつちりと涼《すずし》い目を開《あ》けた。
「其は恁《こ》うぢやよ、一月《ひとつき》の余《よ》も前ぢやわいの、何ともつひぞ見たことのない、都《みやこ》風俗《ふうぞく》の、少《わか》い美しい嬢様が、唯《たっ》た一人《ひとり》景色を見い/\、此の野へござつて私《わし》が処《とこ》へ休ましやつたが、此の奥にの、何《なに》とも名の知れぬ古い社《やしろ》がござるわいの、其処《そこ》へお参詣《まいり》に行くといはつしやる。
 はて此の野は其のお宮の主《ぬし》の持物で、何をさつしやるも其の御心《みこころ》ぢや、聞かつしやれ。
 どんな願事《ねがいごと》でもかなふけれど、其かはり生命《いのち》を犠《にえ》にせねばならぬ掟《おきて》ぢやわいなう、何と又《また》世の中に、生命《いのち》が要《い》らぬといふ願《ねがい》があろか、措《お》かつしやれ、お嬢様、御存じないか、というたれば。
 いえ/\大事ござんせぬ、其を承知で参りました、といはつしやるわいの。
 いや最《も》う、何《なに》も彼《か》も御存じで、婆《ばば》なぞが兎《と》や角《こ》ういふも恐多《おそれおお》いやうな御人品《ごじんぴん》ぢや、さやうならば行つてござらつせえまし。お出かけなさる時に、歩行《ある》いたせゐか暑うてならぬ、これを脱いで行きますと、其処《そこ》で帯を解《と》かつしやつて、お脱ぎなされた。支度を直して、長襦袢《ながじゅばん》の上へ袷《あわせ》一《ひと》ツ、身軽になつて、すら/\草の中を行かつしやる、艶々《つやつや》としたおつむりが、薄《すすき》の中へ隠れたまで送つてなう。
 それからは茅萱《ちがや》の音にも、最《も》うお帰《かえり》かと、待てど暮らせど、大方|例《いつも》のにへにならつしやつたのでござらうわいなう。私《わし》がやうな年寄《としより》にかけかまひはなけれどもの、何《なん》につけても思ひ詰めた、若い人たちの入つて来る処《ところ》ではないほどに、お前様も二度と来ようとは思はつしやるな。可《い》いかの、可《い》いかの。」と間《あい》を措《お》いて、緩《ゆる》く引張つてくゝめるが如くにいふ、媼《おうな》の言《ことば》が断々《たえだえ》に幽《かすか》に聞えて、其の声の遠くなるまで、桂木は留南木《とめぎ》の薫《かおり》に又|恍惚《うっとり》。
 優しい暖かさが、身に染《し》みて、心から、草臥《くたび》れた
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