善にも悪にも恁《こ》うして居ちや、じり/\して胸が苦しい、じみ/\雨で弱らせるのは、第一|何《なに》にしろ卑怯の到《いた》りだ、さあ、さあ、人間でさいなくなりや、其を合図で勝負にしよう、」と微笑を泛《うか》べて串戯《じょうだん》らしく、身悶《みもだえ》をして迫りながら、桂木の瞳《ひとみ》は据《すわ》つた。
血気《けっき》に逸《はや》る少年の、其の無邪気さを愛する如く、離れては居るが顔と顔、媼は嘗《な》めるやうにして、しよぼ/\と目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》き、
「お客様もう降つて居《い》はせぬがなう。」
桂木|一驚《いっきょう》を喫《きっ》して、
「や何時《いつ》の間《ま》に、」
七
「炉の中の荊《いばら》の葉が、かち/\と鳴つて燃えると、雨は上るわいなう。」
いかにも拭《ぬぐ》つたやうに野面《のづら》一面。媼《おうな》の頭《つむり》は白さを増したが、桂木の膝《ひざ》のあたりに薄日《うすび》が射《さ》した、但《ただ》件《くだん》の停車場《ステエション》に磁石を向けると、一直線の北に当る、日金山《ひがねやま》、鶴巻山《つるまきやま》、十国峠《じっこくとうげ》を頂いた、三島の連山の裾《すそ》が直《ただち》に枯草《かれくさ》に交《まじわ》るあたり、一帯の霧が細流《せせらぎ》のやうに靉靆《たなび》いて、空も野も幻の中に、一際《ひときわ》濃《こま》やかに残るのである。
あはれ座右《ざう》のポネヒル一度《ひとたび》声を発するを、彼処《かしこ》に人ありて遙《はるか》に見よ、此処《ここ》に恰《あたか》も其の霧の如く、怪しき煙が立たうもの、
と、桂木は心も勇《いさ》んで、
「むゝ、雨は歇《や》んだ、けれどもお媼《ばあ》さんの姿は未《ま》だ矢張《やっぱり》人間だよ。」と物狂《ものくる》はしく固唾《かたず》を飲んだ。
此の時媼、呵々《からから》と達者《たっしゃ》に笑ひ、
「はゝはゝ、お客様も余程のお方ぢやなう、しつかりさつしやれ、気分が悪いのでござろ。なるほど石ころ一つ、草の葉にまで、心を置いたと謂《い》はつしやるにつけ、何《ど》うかしてござらうに、まづまづ、横にでもなつて気を落着けるが可《よ》いわいなう、それぢやが、私《わし》を早《は》や矢張《やっぱり》怪しいものぢやと思うてござつては、何とも安堵《あんど》出来|悪《にく》かろ
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