》にして、吹雪を散らして翔《か》けたものを――
 ここで思う。その児《こ》、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続《おいつ》ぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。
 泰西《たいせい》の諸国にて、その公園に群《むらが》る雀は、パンに馴れて、人の掌《てのひら》にも帽子にも遊ぶと聞く。
 何故《なぜ》に、わが背戸《せど》の雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。実《げ》に花なればこそ、些《ちっ》とでも変った人間の顔には、渠《かれ》らは大《おおい》なる用心をしなければならない。不意の礫《つぶて》の戸に当る事|幾度《いくたび》ぞ。思いも寄らぬ蜜柑《みかん》の皮、梨の核《しん》の、雨落《あまおち》、鉢前《はちまえ》に飛ぶのは数々《しばしば》である。
 牛乳屋《ちちや》が露地へ入れば驚き、酒屋の小僧が「今日《こんち》は」を叫べば逃げ、大工が来たと見ればすくみ、屋根屋が来ればひそみ、畳屋《たたみや》が来ても寄りつかない。
 いつかは、何かの新聞で、東海道の何某《なにがし》は雀うちの老手である。並木づたいに御油《ごゆ》から赤
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