の中に閑寂《しずか》に見えた。私はちょっと其処《そこ》へ掛けて、会釈で済ますつもりだったが、古畳で暑くるしい、せめてのおもてなしと、竹のずんど切《ぎり》の花活《はないけ》を持って、庭へ出直すと台所の前あたり、井戸があって、撥釣瓶《はねつるべ》の、釣瓶《つるべ》が、虚空へ飛んで猿のように撥《は》ねていた。傍《かたわら》に青芒《あおすすき》が一叢《ひとむら》生茂《おいしげ》り、桔梗《ききょう》の早咲《はやざき》の花が二、三輪、ただ初々《ういうい》しく咲いたのを、莟《つぼみ》と一枝、三筋ばかり青芒を取添《とりそ》えて、竹筒《たけづつ》に挿して、のっしりとした腰つきで、井戸から撥釣瓶《はねつるべ》でざぶりと汲上《くみあ》げ、片手の水差《みずさし》に汲んで、桔梗に灌《そそ》いで、胸はだかりに提《さ》げた処《ところ》は、腹まで毛だらけだったが、床《とこ》へ据えて、円い手で、枝ぶりをちょっと撓《た》めた形は、悠揚《ゆうよう》として、そして軽い手際《てぎわ》で、きちんと極《きま》った。掛物《かけもの》も何も見えぬ。が、唯《ただ》その桔梗の一輪が紫の星の照らすように据《すわ》ったのである。この待遇のために、私は、縁《えん》を座敷へ進まなければならなかった。
「麁茶《そちゃ》を一つ献じましょう。何事も御覧の通りの侘住居《わびずまい》で。……あの、茶道具を、これへな。」
と言うと、次の間《ま》の――崖《がけ》の草のすぐ覗く――竹簀子《たけすのこ》の濡縁《ぬれえん》に、むこうむきに端居《はしい》して……いま私の入った時、一度ていねいに、お時誼《じぎ》をしたまま、うしろ姿で、ちらりと赤い小さなもの、年紀《とし》ごろで視《み》て勿論《もちろん》お手玉ではない、糠袋《ぬかぶくろ》か何ぞせっせと縫《ぬ》っていた。……島田髷《しまだ》の艶々《つやつや》しい、きゃしゃな、色白《いろじろ》な女が立って手伝って、――肥大漢《でっぷりもの》と二人して、やがて焜炉《こんろ》を縁側へ。……焚《たき》つけを入れて、炭を継《つ》いで、土瓶《どびん》を掛けて、茶盆を並べて、それから、扇子《おおぎ》ではたはたと焜炉の火口《ひぐち》を煽《あお》ぎはじめた。
「あれに沢山《たくさん》ございます、あの、茂りました処《ところ》に。」
「滝でも落ちそうな崖です――こんな町中に、あろうとは思われません。御閑静で実に結構です。霧が湧《わ》いたように見えますのは。」
「烏瓜《からすうり》でございます。下闇《したやみ》で暗がりでありますから、日中から、一杯咲きます。――あすこは、いくらでも、ごんごんごまがございますでな。貴方《あなた》は何とかおっしゃいましたな、スズメの蝋燭《ろうそく》。」
これよりして、私は、茶の煮える間《ま》と言うもの、およそこの編《へん》に記《しる》した雀の可愛さをここで話したのである。時々|微笑《ほほえ》んでは振向《ふりむ》いて聞く。娘か、若い妻か、あるいは妾《おもいもの》か。世に美しい女の状《さま》に、一つはうかうか誘《さそ》われて、気の発奮《はず》んだ事は言うまでもない。
さて幾度か、茶をかえた。
「これを御縁に。」
「勿論かさねまして、頃日《このごろ》に。――では、失礼。」
「ああ、しばらく。……これは、貴方《あなた》、おめしものが。」
……心着《こころづ》くと、おめしものも気恥《きはずか》しい、浴衣《ゆかた》だが、うしろの縫《ぬい》めが、しかも、したたか綻《ほころ》びていたのである。
「ここもとは茅屋《あばらや》でも、田舎道ではありませんじゃ。尻端折《しりばしょり》……飛んでもない。……ああ、あんた、ちょっと繕《つくろ》っておあげ申せ。」
「はい。」
すぐに美人が、手の針は、まつげにこぼれて、目に見えぬが、糸は優しく、皓歯《しらは》にスッと含まれた。
「あなた……」
「ああ、これ、紅《あか》い糸で縫えるものかな。」
「あれ――おほほほ。」
私がのっそりと突立《つッた》った裾《すそ》へ、女の脊筋《せすじ》が絡《まつわ》ったようになって、右に左に、肩を曲《くね》ると、居勝手《いがって》が悪く、白い指がちらちら乱れる。
「恐縮です、何ともどうも。」
「こう三人と言うもの附着《くッつ》いたのでは、第一|私《わし》がこの肥体《ずうたい》じゃ。お暑さが堪《たま》らんわい。衣服《きもの》をお脱ぎなさって。……ささ、それが早い。――御遠慮があってはならぬ――が、お身に合いそうな着替《きがえ》はなしじゃ。……これは、一つ、亭主が素裸《すはだか》に相成《あいな》りましょう。それならばお心安い。」
きびらを剥《は》いで、すっぱりと脱ぎ放《はな》した。畚褌《もっこふどし》の肥大裸体《でっぷりはだか》で、
「それ、貴方《あなた》。……お脱ぎなすって。」
と毛むくじゃらの大胡座
前へ
次へ
全11ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング