と、胸毛の白いのばかりを残して、親雀は何処《どこ》へ飛ぶのかいなくなる。数は増しもせず、減りもせず、同じく十五、六羽どまりで、そのうちには、芽が葉になり、葉が花に、花が実になり、雀の咽《のど》が黒くなる。年々二、三度おんなじなのである。
 ……妙な事は、いま言った、萩《はぎ》また椿《つばき》、朝顔の花、露草《つゆくさ》などは、枝にも蔓《つる》にも馴れ馴染《なじ》んでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐《こわ》がって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退《の》いている。尤《もっと》も、時にはこっちから、故《わざ》とおいでの儀を御免蒙《ごめんこうむ》る事がある。物干《ものほし》へ蒲団《ふとん》を干す時である。
 お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持《こころもち》になって、ふっくりと、蒲団に団欒《だんらん》を試みるのだから堪《たま》らない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所《よそ》から頂戴して貯《たくわ》えている豹《ひょう》の皮を釣って置く。と枇杷《びわ》の宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、(坊主びっくり貂《てん》の皮)だから面白い。
 が、一夏《ひとなつ》縁日《えんにち》で、月見草《つきみそう》を買って来て、萩《はぎ》の傍《そば》へ植えた事がある。夕月に、あの花が露を香《にお》わせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏《たそがれ》には、一時《ひととき》留《とま》り餌《え》に騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめは怪《あや》しんだが、二日め三日めには心着《こころづ》いた。意気地《いくじ》なし、臆病。烏瓜《からすうり》、夕顔などは分けても知己《ちかづき》だろうのに、はじめて咲いた月見草の黄色な花が可恐《こわ》いらしい……可哀相《かわいそう》だから植替《うえか》えようかと、言ううちに、四日めの夕暮頃から、漸《や》っと出て来た。何、一度味をしめると飛《とび》ついて露も吸いかねぬ。
 まだある。土手三番町《どてさんばんちょう》の事を言った時、卯《う》の花垣をなどと、少々調子に乗ったようだけれど、まったくその庭に咲いていた。土地では珍しいから、引越す時|一枝《ひとえだ》折って来てさし芽にしたのが、次第に丈《たけ》たかく生立《おいた》ちはしたが、葉
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