したいばかりに、素晴らしく派手を遣《や》って、披露《ひろめ》をしたんだって評判です。
 その市女《いちめ》は、芸妓《げいこ》に限るんです。それも芸なり、容色《きりょう》なり、選抜《えりぬ》きでないと、世話人の方で出しませんから……まず選ばれた婦《おんな》は、一年中の外聞といったわけです。
 その中のお職だ、貴方。何しろ大阪じゃ、浜寺の魚市には、活《い》きた竜宮が顕《あらわ》れる、この住吉の宝市には、天人の素足が見えるって言います。一年中の紋日《もんび》ですから、まあ、是非お目に掛けましょう。
 貴方、一目見て立《たち》すくんで、」
「立すくみは大袈裟《おおげさ》だね、人聞きが悪いじゃないか。」
「だって、今でさえ、悚然《ぞっと》なすったじゃありませんかね。」

       四

 男衆の浮かせ調子を、初阪はなぜか沈んで聞く。……
「まったくそりゃ悚然《ぞっ》としたよ。ひとりでに、あの姿が、城の中へふいと入って、向直って、こっちを見るらしい気がした時は。
 黒い煙も、お珊さんか、……その人のために空に被《かぶ》さったように思って。
 天満の鉄橋は、瀬多の長橋ではないけれども、美濃《みの》へ帰る旅人に、怪しい手箱を託《ことづ》けたり、俵藤太《たわらとうだ》に加勢を頼んだりする人に似たように思ったのだね。
 由来、橋の上で出会う綺麗な婦《おんな》は、すべて凄《すご》いとしてある。――
 が、場所によるね……昨夜《ゆうべ》、隣桟敷で見た時は、同じその人だけれど、今思うと、まるで、違った婦《おんな》さ。……君も関東ものだから遠慮なく云うが、阪地《かみがた》の婦《おんな》はなぜだろう、生きてるのか、死んでるのか、血というものがあるのか知らん、と近所に居るのも可厭《いや》なくらい、酷《ひど》く、さました事があったんだから……」
「へい、何がございました。やたらに何か食べたんですかい。」
「何、詰《つま》らんことを……そうじゃない。余りと言えば見苦しいほど、大入芝居の桟敷だというのに、旦那かね、その連《つれ》の男に、好三昧《すきざんまい》にされてたからさ。」
「そこは妾《てかけ》ものの悲しさですかね。どうして……当人そんなぐうたらじゃない筈《はず》です。意地張《いじッぱ》りもちっと可恐《こわ》いような婦《おんな》でね。以前、芸妓《げいしゃ》で居ました時、北新地《きたのしんち》、新町《しんまち》、堀江が、一つ舞台で、芸較べを遣《や》った事があります。その時、南から舞で出ました。もっとも評判な踊手なんですが、それでも他《ほか》場所の姉さんに、ひけを取るまい。……その頃北に一人、向うへ廻わして、ちと目に余る、家元随一と云う名取りがあったもんですから、生命《いのち》がけに気を入れて、舞ったのは道成寺《どうじょうじ》。貴方、そりゃ近頃の見ものだったと評判しました。
 能がかりか、何か、白の鱗《うろこ》の膚脱《はだぬ》ぎで、あの髪を颯《さっ》と乱して、ト撞木《しゅもく》を被《かぶ》って、供養の鐘を出た時は、何となく舞台が暗くなって、それで振袖の襦袢《じゅばん》を透いて、お珊さんの真白《まっしろ》な胸が、銀色に蒼味《あおみ》がかって光ったって騒ぎです。
 そのかわり、火のように舞い澄まして楽屋へ入ると、気を取詰めて、ばったり倒れた。後見が、回生剤《きつけ》を呑まそうと首を抱く。一人が、装束の襟を寛《くつろ》げようと、あの人の胸を開けたかと思うと、キャッと云って尻持をついたはどうです。
 鳩尾《みずおち》を緊《し》めた白羽二重《しろはぶたえ》の腹巻の中へ、生々《なまなま》とした、長いのが一|尾《ぴき》、蛇ですよ。畝々《うねうね》と巻込めてあった、そいつが、のッそり、」と慌《あわただ》しい懐手、黒八丈を襲《かさ》ねた襟から、拇指《おやゆび》を出して、ぎっくり、と蝮《まむし》を拵《こさ》えて、肩をぶるぶると遣って引込《ひっこ》ませて、
「鎌首を出したはどうです、いや聞いても恐れる。」とばたばたと袖を払《はた》く。
 初阪もそれはしかねない婦《おんな》と見た。
「執念の深いもんだから、あやかる気で、生命《いのち》がけの膚《はだ》に絡《まと》ったというわけだ。」
「それもあります。ですがね、心願も懸けたんですとさ。何でも願が叶《かな》うと云います……咒詛《のろい》も、恋も、情《なさけ》も、慾《よく》も、意地張も同じ事。……その時|鳩尾《みずおち》に巻いていたのは、高津《こうづ》辺の蛇屋で売ります……大瓶《おおがめ》の中にぞろぞろ、という一件もので、貴方御存じですか。」
 初阪は出所を聞くと悚然《ぞっ》とした。我知らず声を潜《ひそ》めて、
「知ッてる……生紙《きがみ》の紙袋《かんぶくろ》の口を結えて、中に筋張った動脈のようにのたくる奴《やつ》を買って帰って、一晩内に寝かしてそれから高津の宮裏の穴へ放すんだってね。」

       五

「ええ、そうですよ。その時、願事《ねがいごと》を、思込んで言聞かせます。そして袋の口を解《ほど》くと、にょろにょろと這出《はいだ》すのが、きっと一度、目の前でとぐろを巻いて、首を擡《もた》げて、その人間の顔を熟《じっ》と視《み》て、それから横穴へ入って隠れるって言います。
 そのくらい念の入《い》った長虫ですから、買手が来て、蛇屋が貯えたその大瓶《おおがめ》の圧蓋《おしぶた》を外すと、何ですとさ。黒焼の註文の時だと、うじゃうじゃ我一《われいち》に下へ潜って、瓶の口がぐっと透く。……放される客の時だと、ぬらぬら争って頭を上げて、瓶から煙が立つようですって、……もし、不気味ですねえ。」
 初阪は背後《うしろ》ざまに仰向《あおむ》いて空を見た。時に、城の雲は、賑《にぎや》かな町に立つ埃《ほこり》よりも薄かった。
 思懸《おもいが》けず、何の広告か、屋根一杯に大きな布袋《ほてい》の絵があって、下から見上げたものの、さながら唐子《からこ》めくのに、思わず苦笑したが、
「昨日《きのう》もその話を聞きながら、兵庫の港、淡路島、煙突の煙でない処は残らず屋根ばかりの、大阪を一目に見渡す、高津の宮の高台から……湯島の女坂に似た石の段壇を下りて、それから黒焼屋の前を通った時は、軒から真黒《まっくろ》な氷柱《つらら》が下ってるように見えて冷《ひや》りとしたよ。一時《いっとき》に寒くなって――たださえ沸上《にえあが》り湧立《わきた》ってる大阪が、あのまた境内に、おでん屋、てんぷら屋、煎豆屋《いりまめや》、とかっかっぐらぐらと、煮立て、蒸立て、焼立てて、それが天火に曝《さら》されているんだからね――びっしょり汗になったのが、お庇《かげ》ですっかり冷くなった。但し余り結構なお庇ではないのさ。
 大阪へ来てから、お天気続きだし、夜は万燈の中に居る気持だし、何しろ暗いと思ったのは、町を歩行《ある》く時でも、寝る時でも、黒焼屋の前を通った時と、今しがた城の雲を見たばかりさ。」
 男衆は偶《ふ》と言《ことば》を挟んで、
「何を御覧なさる。」
「いいえね、今擦違った、それ、」
 とちょっと振向きながら、
「それ、あの、忠兵衛の養母《おふくろ》といった隠居さんが、紙袋《かんぶくろ》を提げているから、」
「串戯《じょうだん》じゃありません。」
「私は例のかと思った、……」
「ありゃ天満の亀《かめ》の子煎餅《こせんべい》、……成程亀屋の隠居でしょう。誰が、貴方、あんな婆さんが禁厭《まじない》の蛇なんぞを、」
「ははあ、少《わか》いものでなくっちゃ、利かないかね。」
「そりゃ……色恋の方ですけれど……慾《よく》の方となると、無差別ですから、老年《としより》はなお烈しいかも知れません。
 分けてこの二三日は、黒焼屋の蛇が売れ盛るって言います……誓文払《せいもんばらい》で、大阪中の呉服屋が、年に一度の大見切売をしますんでね、市中もこの通りまた別して賑《にぎわ》いまさ。
 心斎橋筋の大丸なんかでは、景物の福引に十両二十両という品ものを発奮《はず》んで出しますんで、一番引当てよう了簡《りょうけん》で、禁厭《まじない》に蛇の袋をぶら下げて、杖を支《つ》いて、お十夜という形で、夜中に霜を踏んで、白髪《しらが》で橋を渡る婆さんもあるにゃあるんで。」

       六

 男衆もちょっと町中《まちなか》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》した。
「まったくかも知れません、何しろ、この誓文払の前後に、何千|条《すじ》ですかね、黒焼屋の瓶《かめ》が空虚《から》になった事があるって言いますから。慾は可恐《おそろ》しい。悪くすると、ぶら提げてるのに打撞《ぶつか》らないとも限りませんよ。」
「それ! だから云わない事じゃない。」
 内端《うちわ》ながら二ツ三ツ杖《ステッキ》を掉《ふ》って、
「それでなくッてさえ、こう見渡した大阪の町は、通《とおり》も路地も、どの家も、かッと陽気に明《あかる》い中に、どこか一個所、陰気な暗い処が潜《ひそ》んで、礼儀作法も、由緒因縁も、先祖の位牌《いはい》も、色も恋も罪も報《むくい》も、三世相一冊と、今の蛇一疋ずつは、主《ぬし》になって隠れていそうな気がする処へ、蛇瓶の話を昨日《きのう》聞いて、まざまざと爪立足《つまだちあし》で、黒焼屋の前を通ってからというものは、うっかりすると、新造《しんぞ》も年増も、何か下掻《したがい》の褄《つま》あたりに、一条《ひとすじ》心得ていそうでならない。
 昨夜《ゆうべ》も、芝居で……」
 男衆は思出したように、如才なく一ツ手を拍《う》った。
「時に、どうしたと云うんですえ、お珊さんが、その旦那と?……」
「まあ、お聞き――隣合った私の桟敷に、髪を桃割《ももわれ》に結って、緋の半襟で、黒繻子《くろじゅす》の襟を掛けた、黄の勝った八丈といった柄の着もの、紬《つむぎ》か何か、絣《かすり》の羽織をふっくりと着た。ふさふさの簪《かんざし》を前のめりに挿して、それは人柄な、目の涼しい、眉の優しい、口許《くちもと》の柔順《すなお》な、まだ肩揚げをした、十六七の娘が、一人入っていたろう。……出来るだけおつくりをしたろうが、着ものも帯も、余りいい家《うち》の娘じゃないらしいのが、」
「居ました。へい、親方が、貴方に差上げた桟敷ですから、人の入る訳はないが、と云って、私が伺いましたっけ。貴方が、(構いやしない。)と仰有《おっしゃ》るし、そこはね、大したお目触りのものではなし……あの通りの大入で、ちょっと退《ど》けようッて空場《あな》も見つからないものですから、それなりでお邪魔を願ッておきました。
 後で聞きますと、出方が、しんせつに、まあ、喜ばせてやろうッて、内々で入れたんだそうで。ありゃ何ですッて、逢阪下《おうざかしも》の辻――ええ、天王寺に行《ゆ》く道です。公園寄の辻に、屋台にちょっと毛の生えたくらいの小さな店で、あんころ餅を売っている娘だそうです。いい娘《こ》ですね。」
 それは初阪がはじめて聞く。
「そう、餅屋の姉さんかい……そして何だぜ、あの芝居の厠《べんじょ》に番をしている、爺《じい》さんね、大どんつくを着た逞《たくま》しい親仁《おやじ》だが、影法師のように見える、太《ひど》く、よぼけた、」
「ええ、駕籠伝《かごでん》、駕籠屋の伝五郎ッて、新地の駕籠屋で、ありゃその昔鳴らした男です。もう年紀《とし》の上に、身体《からだ》を投げた無理が出て、便所の番をしています。その伝が?」
「娘の、爺さんか父親《おやじ》なんだ。」
 これは男衆が知らなかった。
「へい、」
「知らないのかい。」
「そうかも知れません、私《わっし》あ御存じの土地児《とちっこ》じゃないんですから、見たり、聞いたり、透切《すきぎれ》だらけで。へい、どうして、貴方?」
「ところが分った事がある。……何しろ、私が、昨夜《ゆうべ》、あの桟敷へ入った時、空いていた場所は、その私の処と、隣りに一間《ひとま》、」
「そうですよ。」
「その二間しかなかったんだ。二丁がカチと入った時さ。娘を連れて、年配の出方が一人、横手の通《とおり》の、竹格子だね、中座のは。……扉《
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