うと、唇をゆがめた皓歯《しらは》に、莟《つぼみ》のような血を噛《か》んだが、烏帽子の紐の乱れかかって、胸に千条《ちすじ》の鮮血《からくれない》。
「あ、」
と一声して、ばったり倒れる。人目も振《ふり》も、しどろになって背《せな》に縋《すが》った。多一の片手の掌《てのひら》も、我が唇を圧《おさえ》余って、血汐《ちしお》は指を溢《あふ》れ落ちた。
一座わっと立騒ぐ。階子《はしご》へ遁《に》げて落ちたのさえある。
引仰向《ひきあおむ》けてしっかと抱き、
「美津《みい》さん!……二、二人は毒害された、お珊、お珊、御寮人、お珊め、婦《おんな》!」
二十八
「床几《しょうぎ》、」
と、前後《まえうしろ》の屋台の間に、市女《いちめ》の姫の第五人目で、お珊が朗かな声を掛けた。背後《うしろ》に二人、朱の台傘を廂《ひさし》より高々と地摺《じずれ》の黒髪にさしかけたのは、白丁扮装《はくちょうでたち》の駕寵《かご》人足。並んで、萌黄紗《もえぎしゃ》に朱の総《ふさ》結んだ、市女笠を捧げて従ったのは、特にお珊が望んだという、お美津の爺《じい》の伝五郎。
印半纏《しるしばんてん》、股引《ももひき》、腹掛けの若いものが、さし心得て、露じとりの地に据えた床几に、お珊は真先《まっさき》に腰を掛けた。が、これは我儘《わがまま》ではない。練《ねり》ものは、揃って、宗右衛門町のここに休むのが習《ならい》であった。
屋台の前なる稚児《ちご》をはじめ、間をものの二|間《けん》ばかりずつ、真直《まっすぐ》に取って、十二人が十二の衣《きぬ》、色を勝《すぐ》った南地の芸妓《げいこ》が、揃って、一人ずつ皆床几に掛かる。
台傘の朱は、総二階一面軒ごとの緋《ひ》の毛氈《もうせん》に、色|映交《さしか》わして、千本《ちもと》植えたる桜の梢《こずえ》、廊《くるわ》の空に咲かかる。白の狩衣、紅梅小袖、灯《ともしび》の影にちらちらと、囃子の舞妓、芸妓など、霧に揺据《ゆりすわ》って、小鼓、八雲琴《やくもごと》の調《しらべ》を休むと、後囃子《あとばやし》なる素袍の稚児が、浅葱桜《あさぎざくら》を織交ぜて、すり鉦《がね》、太鼓の音《ね》も憩う。動揺《どよめき》渡る見物は、大河の水を堰《せ》いたよう、見渡す限り列のある間、――一尺ごとに百目蝋燭《ひゃくめろうそく》、裸火を煽《あお》らし立てた、黒塗に台附の柵の堤を築いて、両方へ押分けたれば、練もののみが静まり返って、人形のように美しく且つ凄《すご》い。
ただその中を、福草履ひたひたと地を刻んで、袴《はかま》の裾を忙《せわ》しそう。二人三人、世話人が、列の柵|摺《ず》れに往《ゆ》きつ還《かえ》りつ、時々顔を合わせて、二人|囁《ささや》く、直ぐに別れてまた一人、別な世話人とちょっと出遇《であ》う。中に一人落しものをしたように、うろうろと、市女たちの足許《あしもと》を覗《のぞ》いて歩行《ある》くものもあって、大《おおき》な蟻の働振《はたらきぶり》、さも事ありげに見えるばかりか、傘さしかけた白丁どもも、三人ならず、五人ならず、眉を顰《ひそ》め口を開けて空を見た。
その空は、暗く濁って、ところどころ朱の色を交えて曇った。中を一条《ひとすじ》、列を切って、どこからともなく白気《はっき》が渡って、細々と長く、遥《はるか》に城ある方《かた》に靡《なび》く。これを、あたりの湯屋の煙、また、遠い煙筒《えんとつ》の煙が、風の死したる大阪の空を、あらん限り縫うとも言った。
宵には風があった。それは冷たかったけれども、小春凪《こはるなぎ》の日の余残《なごり》に、薄月さえ朧々《おぼろおぼろ》と底の暖いと思ったが、道頓堀で小休みして、やがて太左衛門橋を練込む頃から、真暗《まっくら》になったのである。
鴉は次第に数を増した。のみならず、白気の怪《あやし》みもあるせいか、誰云うとなく、今夜十二人の市女の中に、姫の数が一人多い。すべて十三人あると言交わす。
世話人|徒《てあい》が、妙に気にして、それとなく、一人々々数えてみると、なるほど一人姫が多い。誰も彼も多いと云う。
念のために、他所見《よそみ》ながら顔を覗《のぞ》いて、名を銘々に心に留めると、決して姫が殖《ふ》えたのではない。定《おきて》の通り十二人。で、また見渡すと十三人。
……式の最初、住吉|詣《もうで》の東雲《しののめ》に、女紅場で支度はしたが、急にお珊が気が変って、社《やしろ》へ参らぬ、と言ったために一人|俄拵《にわかごしら》えに数を殖《ふ》やした。が、それは伊丹幸《いたこう》の政巳《まさみ》と云って、お珊が稚《わか》い時から可愛がった妹分。その女は、と探ってみると、現に丸官に呼ばれて、浪屋の表座敷に居ると云うから、その身代りが交ったというのでもないのに。……
それさえ尋常《
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