ただ》ならず、とひしめく処に、搗《か》てて加えて易からぬは、世話人の一人が見附けた――屋台が道頓堀を越す頃から、橋へかけて、列の中に、たらたら、たらたらと一雫《ひとしずく》ずつ、血が落ちていると云うのである。
二十九
一人多い、その姫の影は朧《おぼろ》でも、血のしたたりは現に見て、誰が目にも正《まさ》しく留った。
灯の影に地を探って、穏《おだやか》ならず、うそうそ捜《さがし》ものをして歩行《ある》くのは、その血のあとを辿《たど》るのであろう。
消防夫《しごとし》にも、駕籠屋にも、あえて怪我をしたらしいのはない。婦《おんな》たちにも様子は見えぬ。もっとも、南地第一の大事な市の列に立てば、些細《ささい》な疵《きず》なら、弱い舞妓も我慢して秘《かく》して退《の》けよう。
が、市に取っては、上もなき可忌《いまわ》しさで。
世話人は皆激しく顰《ひそ》んだ。
知らずや人々。お珊は既に、襟に秘《かく》し持った縫針で、裏を透《とお》して、左の手首の動脈を刺し貫いていたのである。
ただ、初《はじめ》から不思議な血のあとを拾って、列を縫って検《しら》べて行《ゆ》くと、静々《しずしず》と揃って練る時から、お珊の袴の影で留ったのを人を知った。
ここに休んでから、それとなく、五人目の姫の顔を差覗《さしのぞ》くものもあった。けれども端然としていた。黛《まゆずみ》の他に玲瓏《れいろう》として顔に一点の雲もなかった。が、右手《めて》に捧げた橘《たちばな》に見入るのであろう、寂《さみ》しく目を閉じていたと云う。
時に、途中ではさもなかった。ここに休む内に、怪しき気のこと、点滴《したた》る血の事、就中《なかんずく》、姫の数の幻に一人多い事が、いつとなく、伝えられて、烈《はげ》しく女どもの気を打った。
自然と、髪を垂れ、袖を合せて、床几なる姫は皆、斉《ひと》しくお珊が臨終の姿と同じ、肩のさみしい風情となった。
血だらけだ、血だらけだ、血だらけの稚児だ――と叫ぶ――柵の外の群集《ぐんじゅ》の波を、鯱《しゃち》に追われて泳ぐがごとく、多一の顔が真蒼《まっさお》に顕《あらわ》れた。
「お呼びや、私をお知らせや。」
とお珊が云った。
伝五|爺《じじい》は、懐を大きく、仰天した皺嗄声《しわがれごえ》を振絞って、
「多一か、多一はん――御寮人様はここじゃ。」と喚《わめ》く。
早や柵の上を蹌踉《よろ》めき越えて、虚空を掴《つか》んで探したのが、立直って、衝《つ》と寄った。
が、床几の前に、ぱったり倒れて、起直りざまの目の色は、口よりも血走った。
「ああ、待遠《まちどお》な、多一さん、」
と黒髪|揺《ゆら》ぐ、吐息《といき》と共に、男の肩に手を掛けた。
「毒には加減をしたけれど、私が先へ死にそうでな、幾たび目をば瞑《ねむ》ったやろ。やっとここまで堪《こら》えたえ。も一度顔を、と思うよって……」
丸官の握拳《にぎりこぶし》が、時に、瓦《かわら》の欠片《かけら》のごとく、群集を打ちのめして掻分《かきわ》ける。
「傘でかくしておくれやす。や、」と云う。
台傘が颯《さっ》と斜めになった。が、丸官の忿怒《ふんぬ》は遮り果てない。
靴足袋で青い足が、柵を踏んで乗ろうとするのを、一目見ると、懐中《ふところ》へ衝《つ》と手を入れて、両方へ振って、扱《しご》いて、投げた。既に袋を出ていた蛇は、二筋|電《いなずま》のごとく光って飛んだ。
わ、と立騒ぐ群集《ぐんじゅ》の中へ、丸官の影は揉込《もみこ》まれた。一人|渠《かれ》のみならず、もの見高く、推掛《おしかか》った両側の千人は、一斉に動揺《どよみ》を立て、悲鳴を揚げて、泣く、叫ぶ。茶屋|揚屋《あげや》の軒に余って、土足の泥波を店へ哄《どっ》と……津波の余残《なごり》は太左衛門橋、戒橋《えびすばし》、相生橋《あいおいばし》に溢《あふ》れかかり、畳屋町、笠屋町、玉屋町を横筋に渦巻き落ちる。
見よ、見よ、鴉が蔽《おお》いかかって、人の目、頭《かしら》に、嘴《はし》を鳴らすを。
お珊に詰寄る世話人は、また不思議にも、蛇が、蛇が、と遁惑《にげまど》うた。その数はただ二条《ふたすじ》ではない。
屋台から舞妓が一人|倒《さかさま》に落ちた。そこに、めらめらと鎌首を立て、這いかかったためである。
それ、怪我人よ、人死《ひとじに》よ、とそこもここも湧揚る。
お珊は、心|静《しずか》に多一を抱いた。
「よう、顔見せておくれやす。」
「口惜《くちおし》い。御寮人、」と、血を吐きながら頭《かぶり》を振る。
「貴方《あんた》ばかり殺しはせん。これお見やす、」と忘れたように、血が涸《か》れて、蒼白《あおじろ》んで、早や動かし得ぬ指を離すと、刻んだように。しっかと持った、その脈を刺した手の橘の、鮮血《からくれない
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