内申したんです。
 附込《つけこ》みでね、旦那と来ていました。取巻きに六七人|芸妓《げいこ》が附いて。」
 男衆の顔を見て、
「はあ、すると堅気かい、……以前はとにかく、」
 また男衆は、こう聞かれるのを合点《がってん》したらしく頷《うなず》くのであった。
「貴方、当時また南新地から出ているんです。……いいえ、旦那が変ったんでも、手が切れたのでもありません。やっぱり昨夜《ゆうべ》御覧なすった、あれが元からの旦那でね。ええ、しかも、ついこの四五日前まで、久しく引かされて、桜の宮の片辺《かたほとり》というのに、それこそ一枚絵になりそうな御寮人で居たんですがね。あの旦那の飛んだもの好《ずき》から、洒落《しゃれ》にまた鑑札を請けて、以前のままの、お珊《さん》という名で、新しく披露《ひろめ》をしました。」と質実《じみ》に話す。
「阪地《かみがた》は風流だね、洒落に芸者に出すなんざ、悟ったもんですぜ、根こぎで手活《ていけ》にした花を、人助けのため拝ませる、という寸法だろう。私なんぞも、お庇《かげ》で土産にありついたという訳だ。」
「いいえ、隣桟敷の緋《ひ》の毛氈《もうせん》に頬杖《ほおづえ》や、橋の欄干袖振掛けて、という姿ぐらいではありません。貴方、もっと立派なお土産を御覧なさいましょうよ。御覧なさいまし、明日、翌々日《あさって》の晩は、唯今のお珊の方が、千日前から道頓堀、新地をかけて宝市の練《ねり》に出て、下げ髪、緋の袴《はかま》という扮装《なり》で、八年ぶりで練りますから。」
 一言《ひとこと》、下げ髪、緋の袴、と云ったのが、目のあたり城の上の雲を見た、初阪の耳を穿《うが》って響いた。
「何、下げ髪で、緋の袴?……」
「勿論一人じゃありません――確か十二人、同じ姿で揃って練ります。が、自分の髪を入髪《いれげ》なしに解《とき》ほぐして、その緋の袴と擦れ擦れに丈に余るってのは、あの婦《おんな》ばかりだと云ったもんです。一度引いて、もうそんなに経《た》ちますけれども、私《わっし》あ今日も、つい近間で見て驚きました。
 苦労も道楽もしたろうのに、雁金額《かりがねびたい》の生際《はえぎわ》が、一厘だって抜上がっていませんやね、ねえ。
 やっぱり入髪なしを水で解いて、宝市は屋台ぐるみ、象を繋《つな》いで曳《ひ》きましょうよ。
 旦那もね、市に出して、お珊さんのその姿を、見たり、見せたりしたいばかりに、素晴らしく派手を遣《や》って、披露《ひろめ》をしたんだって評判です。
 その市女《いちめ》は、芸妓《げいこ》に限るんです。それも芸なり、容色《きりょう》なり、選抜《えりぬ》きでないと、世話人の方で出しませんから……まず選ばれた婦《おんな》は、一年中の外聞といったわけです。
 その中のお職だ、貴方。何しろ大阪じゃ、浜寺の魚市には、活《い》きた竜宮が顕《あらわ》れる、この住吉の宝市には、天人の素足が見えるって言います。一年中の紋日《もんび》ですから、まあ、是非お目に掛けましょう。
 貴方、一目見て立《たち》すくんで、」
「立すくみは大袈裟《おおげさ》だね、人聞きが悪いじゃないか。」
「だって、今でさえ、悚然《ぞっと》なすったじゃありませんかね。」

       四

 男衆の浮かせ調子を、初阪はなぜか沈んで聞く。……
「まったくそりゃ悚然《ぞっ》としたよ。ひとりでに、あの姿が、城の中へふいと入って、向直って、こっちを見るらしい気がした時は。
 黒い煙も、お珊さんか、……その人のために空に被《かぶ》さったように思って。
 天満の鉄橋は、瀬多の長橋ではないけれども、美濃《みの》へ帰る旅人に、怪しい手箱を託《ことづ》けたり、俵藤太《たわらとうだ》に加勢を頼んだりする人に似たように思ったのだね。
 由来、橋の上で出会う綺麗な婦《おんな》は、すべて凄《すご》いとしてある。――
 が、場所によるね……昨夜《ゆうべ》、隣桟敷で見た時は、同じその人だけれど、今思うと、まるで、違った婦《おんな》さ。……君も関東ものだから遠慮なく云うが、阪地《かみがた》の婦《おんな》はなぜだろう、生きてるのか、死んでるのか、血というものがあるのか知らん、と近所に居るのも可厭《いや》なくらい、酷《ひど》く、さました事があったんだから……」
「へい、何がございました。やたらに何か食べたんですかい。」
「何、詰《つま》らんことを……そうじゃない。余りと言えば見苦しいほど、大入芝居の桟敷だというのに、旦那かね、その連《つれ》の男に、好三昧《すきざんまい》にされてたからさ。」
「そこは妾《てかけ》ものの悲しさですかね。どうして……当人そんなぐうたらじゃない筈《はず》です。意地張《いじッぱ》りもちっと可恐《こわ》いような婦《おんな》でね。以前、芸妓《げいしゃ》で居ました時、北新地《きたのしんち》、新
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