町《しんまち》、堀江が、一つ舞台で、芸較べを遣《や》った事があります。その時、南から舞で出ました。もっとも評判な踊手なんですが、それでも他《ほか》場所の姉さんに、ひけを取るまい。……その頃北に一人、向うへ廻わして、ちと目に余る、家元随一と云う名取りがあったもんですから、生命《いのち》がけに気を入れて、舞ったのは道成寺《どうじょうじ》。貴方、そりゃ近頃の見ものだったと評判しました。
 能がかりか、何か、白の鱗《うろこ》の膚脱《はだぬ》ぎで、あの髪を颯《さっ》と乱して、ト撞木《しゅもく》を被《かぶ》って、供養の鐘を出た時は、何となく舞台が暗くなって、それで振袖の襦袢《じゅばん》を透いて、お珊さんの真白《まっしろ》な胸が、銀色に蒼味《あおみ》がかって光ったって騒ぎです。
 そのかわり、火のように舞い澄まして楽屋へ入ると、気を取詰めて、ばったり倒れた。後見が、回生剤《きつけ》を呑まそうと首を抱く。一人が、装束の襟を寛《くつろ》げようと、あの人の胸を開けたかと思うと、キャッと云って尻持をついたはどうです。
 鳩尾《みずおち》を緊《し》めた白羽二重《しろはぶたえ》の腹巻の中へ、生々《なまなま》とした、長いのが一|尾《ぴき》、蛇ですよ。畝々《うねうね》と巻込めてあった、そいつが、のッそり、」と慌《あわただ》しい懐手、黒八丈を襲《かさ》ねた襟から、拇指《おやゆび》を出して、ぎっくり、と蝮《まむし》を拵《こさ》えて、肩をぶるぶると遣って引込《ひっこ》ませて、
「鎌首を出したはどうです、いや聞いても恐れる。」とばたばたと袖を払《はた》く。
 初阪もそれはしかねない婦《おんな》と見た。
「執念の深いもんだから、あやかる気で、生命《いのち》がけの膚《はだ》に絡《まと》ったというわけだ。」
「それもあります。ですがね、心願も懸けたんですとさ。何でも願が叶《かな》うと云います……咒詛《のろい》も、恋も、情《なさけ》も、慾《よく》も、意地張も同じ事。……その時|鳩尾《みずおち》に巻いていたのは、高津《こうづ》辺の蛇屋で売ります……大瓶《おおがめ》の中にぞろぞろ、という一件もので、貴方御存じですか。」
 初阪は出所を聞くと悚然《ぞっ》とした。我知らず声を潜《ひそ》めて、
「知ッてる……生紙《きがみ》の紙袋《かんぶくろ》の口を結えて、中に筋張った動脈のようにのたくる奴《やつ》を買って帰って、一晩内に寝かしてそれから高津の宮裏の穴へ放すんだってね。」

       五

「ええ、そうですよ。その時、願事《ねがいごと》を、思込んで言聞かせます。そして袋の口を解《ほど》くと、にょろにょろと這出《はいだ》すのが、きっと一度、目の前でとぐろを巻いて、首を擡《もた》げて、その人間の顔を熟《じっ》と視《み》て、それから横穴へ入って隠れるって言います。
 そのくらい念の入《い》った長虫ですから、買手が来て、蛇屋が貯えたその大瓶《おおがめ》の圧蓋《おしぶた》を外すと、何ですとさ。黒焼の註文の時だと、うじゃうじゃ我一《われいち》に下へ潜って、瓶の口がぐっと透く。……放される客の時だと、ぬらぬら争って頭を上げて、瓶から煙が立つようですって、……もし、不気味ですねえ。」
 初阪は背後《うしろ》ざまに仰向《あおむ》いて空を見た。時に、城の雲は、賑《にぎや》かな町に立つ埃《ほこり》よりも薄かった。
 思懸《おもいが》けず、何の広告か、屋根一杯に大きな布袋《ほてい》の絵があって、下から見上げたものの、さながら唐子《からこ》めくのに、思わず苦笑したが、
「昨日《きのう》もその話を聞きながら、兵庫の港、淡路島、煙突の煙でない処は残らず屋根ばかりの、大阪を一目に見渡す、高津の宮の高台から……湯島の女坂に似た石の段壇を下りて、それから黒焼屋の前を通った時は、軒から真黒《まっくろ》な氷柱《つらら》が下ってるように見えて冷《ひや》りとしたよ。一時《いっとき》に寒くなって――たださえ沸上《にえあが》り湧立《わきた》ってる大阪が、あのまた境内に、おでん屋、てんぷら屋、煎豆屋《いりまめや》、とかっかっぐらぐらと、煮立て、蒸立て、焼立てて、それが天火に曝《さら》されているんだからね――びっしょり汗になったのが、お庇《かげ》ですっかり冷くなった。但し余り結構なお庇ではないのさ。
 大阪へ来てから、お天気続きだし、夜は万燈の中に居る気持だし、何しろ暗いと思ったのは、町を歩行《ある》く時でも、寝る時でも、黒焼屋の前を通った時と、今しがた城の雲を見たばかりさ。」
 男衆は偶《ふ》と言《ことば》を挟んで、
「何を御覧なさる。」
「いいえね、今擦違った、それ、」
 とちょっと振向きながら、
「それ、あの、忠兵衛の養母《おふくろ》といった隠居さんが、紙袋《かんぶくろ》を提げているから、」
「串戯《じょうだん》じゃありませ
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