んだ、関東勢の大砲《おおづつ》が炎を吐いて転がる中に、淀君をはじめ、夥多《あまた》の美人の、練衣《ねりぎぬ》、紅《くれない》の袴《はかま》が寸断々々《ずたずた》に、城と一所に滅ぶる景色が、目に見える。……雲を貫く、工場の太い煙は、丈に余る黒髪が、縺《もつ》れて乱れるよう、そして、倒《さかさま》に立ったのは、長《とこしえ》に消えぬ人々の怨恨《うらみ》と見えた。
 大河《おおかわ》の両岸《りょうぎし》は、細い樹の枝に、薄紫の靄《もや》が、すらすら。蒼空《あおぞら》の下を、矢輻《やぼね》の晃々《きらきら》と光る車が、駈《か》けてもいたのに、……水には帆の影も澄んだのに、……どうしてその時、大阪城の空ばかり暗澹《あんたん》として曇ったろう。
「ああ、あの雲だ。」
 と初阪は橋の北詰に、ひしひしと並んだ商人家《あきんどや》の、軒の看板に隠れた城の櫓《やぐら》の、今は雲ばかりを、フト仰いだ。
 が、俯向《うつむ》いて、足許《あしもと》に、二人連立つ影を見た。
「大丈夫だろうかね。」
「雷様ですか。」
 男衆は逸早《いちはや》く心得て、
「串戯《じょうだん》じゃありませんぜ。何の今時……」
「そんなら可《い》いが、」
 歩行《あるき》出す、と暗くなり掛けた影法師も、烈《はげ》しい人脚の塵に消えて、天満《てんま》筋の真昼間《まっぴるま》。
 初阪は晴《はれ》やかな顔をした。
「凄《すご》かったよ、私は。……その癖、この陽気だから、自然と淀川の水気が立つ、陽炎《かげろう》のようなものが、ひらひらと、それが櫓の面《おもて》へかかると、何となく、※[#「火+發」、450−1]《ぱっ》と美しい幻が添って、城の名を天下に彩っているように思われたっけ。その花やかな中にも、しかし、長い、濃い、黒髪が潜《ひそ》んで、滝のように動いていた。」
 城を語る時、初阪の色酔えるがごとく、土地|馴《な》れぬ足許は、ふらつくばかり危《あやぶ》まれたが、対手《あいて》が、しゃんと来いの男衆だけ、確《たしか》に引受けられた酔漢《よっぱらい》に似て、擦合い、行違う人の中を、傍目《わきめ》も触《ふ》らず饒舌《しゃべ》るのであった。
「時に、それについて、」
「あの、別嬪《べっぴん》の事でしょう。私たちが立停《たちど》まって、お城を見ていました。四五間さきの所に、美しく立って、同じ方を視《なが》めていた、あれでしょう。……貴方《あなた》が(今のは!)ッて一件は。それ、奴《やっこ》を一人、お供に連れて、」
「奴を……十五六の小間使だぜ。」
「当地じゃ、奴ッてそう言います。島田|髷《まげ》に白丈長《しろたけなが》をピンと刎《は》ねた、小凜々《こりり》しい。お約束でね、御寮人には附きものの小女《こおんな》ですよ。あれで御寮人の髷が、元禄だった日にゃ、菱川師宣《ひしかわもろのぶ》えがく、というんですね。
 何だろう、とお尋ねなさるのは承知の上でさ、……また、今のを御覧なすって、お聞きなさらないじゃ、大阪が怨《うら》みます。」
「人が悪いな、この人は。それまで心得ていて、はぐらかすんだから。(大阪城でございます、)はちと癪《しゃく》だろうじゃないか。」
「はははは。」
「しかし縁のない事はない。そうして、熟《じっ》とあの、煙の中の凄《すご》い櫓を視《なが》めていると、どうだろう。
 四五間|前《さき》に、上品な絵の具の薄彩色《うすさいしき》で、彳《たたず》んでいた、今の、その美人の姿だがね、……淀川の流れに引かれた、私の目のせいなんだろう。すッと向うに浮いて行って、遠くの、あの、城の壁の、矢狭間《やざま》とも思う窓から、顔を出して、こっちを覗《のぞ》いた。そう見えた。いつの間にか、城の中へ入って、向直って。……
 黒雲の下、煙の中で、凄いの、美しいの、と云ッて、そりゃなかった。」

       三

「だから、何だか容易ならん事が起った、と思って、……口惜《くや》しいが聞くんです。
 実はね、昨夜《ゆうべ》、中座を見物した時、すぐ隣りの桟敷《さじき》に居たんだよ、今の婦人《おんな》は……」と頷《うなず》くようにして初阪は云う。
 男衆はまた笑った。
「ですとも。それを知らん顔で、しらばっくれて、唯今《ただいま》一見《いちげん》という顔をなさるから、はぐらかして上げましたんでさ。」
「だって、住吉《すみよし》、天王寺も見ない前《さき》から、大阪へ着いて早々、あの婦《おんな》は? でもあるまいと思う。それじゃ慌て過ぎて、振袖に躓《けつまず》いて転ぶようだから、痩我慢《やせがまん》で黙然《だんまり》でいたんだ。」
「ところが、辛抱が仕切れなくなったでしょう、ごもっともですとも。親方もね、実は、お景物にお目に掛ける、ちょうど可《い》いからッて、わざと昨夜《ゆうべ》も、貴方《あなた》を隣桟敷へ御案
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