二十六
「宗八《そっぱ》、宗八《そっぱ》。」
浪屋の表座敷、床の間の正面に、丸田官蔵、この成金、何の好みか、例なる詰襟《つめえり》の紺の洋服、高胡坐《たかあぐら》、座にある幇間《ほうかん》を大音に呼ぶ。
「はッ、」
「き様、逢阪のあんころ餅へ、使者に、後押《あとおし》で駈着《かけつ》けて、今帰った処じゃな。」
「御意にござります、へい。」
「何か、直ぐに連れてここへ来る手筈《てはず》じゃった、猿は、留木《とまりぎ》から落ちて縁の下へ半分|身体《からだ》を突込《つッこ》んで、斃死《くたばっ》ていたげに云う……嘘でないな。」
「実説正銘にござりまして、へい。餅屋|店《みせ》では、爺《じじい》の伝五めに、今夜、貴方様《あなたさま》、お珊の方様、」
と額を敲《たた》いて、
「すなわち、御寮人様、市へお練出しのお供を、お好《このみ》とあって承ります。……さてまた、名代娘のお美津さんは、御夫婦これに――ええ、すなわち逢阪の辻店は、戸を寄せ掛けた明巣《あきす》にござります。
処へ宗八、丸官閣下お使者といたし、車を一散に乗着けまして、隣家の豆屋の女房立会い、戸を押開いて見ましたれば、いや、はや、何とも悪食《あくじき》がないたいた様子、お望みの猿は血を吐いて斃《お》ち果てておりましたに毛頭相違ござりません。」
「うむ。」
と苦切《にがりき》って頷《うなず》きながら、
「多一、あれを聞いたかい、その通りや。」と、ぐっと見下ろす。
一座の末に、うら若い新夫婦は、平伏《ひれふ》していたのである。
これより先、余り御無体、お待ちや、などと、慌《あわただ》しい婦《おんな》まじりの声の中に、丸官の形、猛然と躍上《おどりあが》って、廊下を鳴らして魔のごとく、二人の閏《ねや》へ押寄せた。
襖をどんと突明けると、床の間の白玉椿、怪しき明星のごとき別天地に、こは思いも掛けず、二人の姿は、綾の帳《とばり》にも蔽《おお》われず、指貫《さしぬき》やなど、烏帽子の紐《ひも》も解かないで、屏風《びょうぶ》の外に、美津は多一の膝に俯《ふ》し、多一は美津の背《せな》に額を附けて、五人囃子の雛《ひな》二個《ふたつ》、袖を合せたようであった。
揃って、胸先がキヤキヤと痛むと云う。
「酒|啖《くら》え、意気地なし!」
で、有無を言わせず、表二階へ引出された。
欄干の緋《ひ》の毛氈《もうせ
前へ
次へ
全52ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング