あった。
ふと心付いた状《さま》して、動悸《どうき》を鎮めるげに、襟なる檜扇《ひおうぎ》の端をしっかと圧《おさ》えて、ト後《うしろ》を見て、襖《ふすま》にすらり靡《なび》いた、その下げ髪の丈を視《なが》めた。
お珊の姿は陰々とした。
二十三
夫婦が二人、その若い顔を上げた時、お珊は何気なき面色《おももち》した。
「ほんになあ、くどいようなが多一さん、よう辛抱しやはった。中の芝居で、あの事がなかったら、幾ら私が無理云うたかて、丸官はんにこの祝言を承知さす事はようせんもの。……そりゃな、夫婦にはならはったかて、立行くように世帯が出来んとならんやないか。
通い勤めなり、別に資本出すなりと、丸官はんに、応、言わせたも、皆、貴方《あんた》が、美津《みい》さんのために堪《こら》えなはった、心中立《しんじゅうだて》一つやな。十年七年の奉公を一度に済ましなはったも同じ事。
額の疵《きず》は、その烏帽子に、金剛石《ダイヤモンド》を飾ったような光が映《さ》す……おお、天晴《あっぱれ》なお婿はん。
さあ、お嫁はん、お酌しょうな。」
と軽く云ったが、艶麗《あでやか》に、しかも威儀ある座を正して、
「お盞《さかずき》。」
で、長柄の銚子《ちょうし》に手を添えた。
朱塗の蒔絵《まきえ》の三組《みつぐみ》は、浪に夕日の影を重ねて、蓬莱《ほうらい》の島の松の葉越に、いかにせし、鶴は狩衣の袖をすくめて、その盞を取ろうとせぬ。
「さ、お受けや。」
と、お珊が二度ばかり勧めたけれども、騒立《さわぎた》つらしい胸の響きに、烏帽子の総《ふさ》の揺るるのみ。美津は遣瀬《やるせ》なげに手を控える。
ト熟《じっ》と視《み》て、
「おお、まだ年の行《ゆ》かぬ、嬰児《ねね》はんや。多一はんと、酒事《ささごと》しやはった覚えがないな。貴女《あんた》盞を先へ取るのを遠慮やないか。三々九度は、嫁はんが初手に受けるが法やけれど、別に儀式だった祝言やないよって、どうなと構わん。
そやったら多一さん、貴方《あんた》先へお受けやす。」
「はい、」と斉《ひと》しく逡巡《しりごみ》する。
「どうしやはったえ。」
「御寮人様、一生に一度の事でござります。とてもの事に、ものが逆になりませんよう、やっぱり美津から……」
とちょっと目を合せた。
「女から、お盞を頂かして下さりまし。」
「そやかて、含
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