潔く清き身に、唐衣《からごろも》を着け、袴を穿《は》くと、しらしらと早や旭《あさひ》の影が、霧を破って色を映す。
さて住吉の朝ぼらけ、白妙《しろたえ》の松の樹《こ》の間を、静々と詣《もう》で進む、路の裳《もすそ》を、皐月御殿《さつきごてん》、市《いち》の式殿にはじめて解いて、市の姫は十二人。袴を十二長く引く。……
その市の姫十二人、御殿の正面に揖《ゆう》して出《い》づれば、神官、威儀正しく彼処《かしこ》にあり。土器《かわらけ》の神酒《みき》、結び昆布。やがて檜扇《ひおうぎ》を授けらる。これを受けて、席に帰って、緋や、萌黄《もえぎ》や、金銀の縫箔《ぬいはく》光を放って、板戸も松の絵の影に、雲白く梢《こずえ》を繞《めぐ》る松林《しょうりん》に日の射《さ》す中に、一列に並居《なみい》る時、巫子《みこ》するすると立出《たちい》でて、美女の面《おもて》一《いち》人ごとに、式の白粉を施し、紅をさし、墨もて黛《まゆずみ》を描く、と聞く。
素顔の雪に化粧して、皓歯《しらは》に紅を濃く含み、神々しく気高いまで、お珊はここに、黛さえほんのりと描いている。が、女紅場の沐浴《もくよく》に、美しき膚《はだ》を衆に抽《ぬ》き、解き揃えた黒髪は、夥間《なかま》の丈を圧《おさ》えたけれども、一人|渠《かれ》は、住吉の式に連《つらな》る事をしなかった。
間際に人が欠けては事が済まぬ。
世話人一同、袴腰を捻返《ねじかえ》して狼狽《うろた》えたが、お珊が思うままな金子《かね》の力で、身代りの婦《おんな》が急に立った。
で、これのみ巫女《みこ》の手を借りぬ、容色《きりょう》も南地《なんち》第一人。袴の色の緋よりも冴えた、笹紅《ささべに》の口許《くちもと》に美しく微笑《ほほえ》んだ。
「多一さん、美津《みい》さん、ちょっと、どないな気がおしやす。」
唐織衣《からおりごろも》に思いもよらぬ、生地《きじ》の芸妓《げいこ》で、心易げに、島台を前に、声を掛ける。
素袍の紗《しゃ》に透通る、燈《ともし》の影に浅葱《あさぎ》とて、月夜に色の白いよう、多一は照らされた面色《おももち》だった。
「なあ?」とお珊が聞返す、胸を薄く数を襲《かさ》ねた、雪の深い襲ねの襟に、檜扇を取って挿していた。
「御寮人様。」
と手を下げて、
「何も、何も、私《わたくし》は申されませぬ。あの、ただ夢のようにござります。」とや
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