っと云って、烏帽子を正しく、はじめて上げた、女のような優しい眉の、右を残して斜めに巻いたは、笞《しもと》の疵《きず》に、無慚《むざん》な繃帯《ほうたい》。
 お珊は黒目がちに、熟《じっ》と※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、
「ほんに、そう云うたら夢やな。」
 と清らかな襖《ふすま》のあたり、座敷を衝《つ》と※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》した。
 ト柱、襖《ふすま》、その金屏風に、人の影が残らず映った。
 映って、そして、緋に、紫に、朱鷺色《ときいろ》に、二人の烏帽子、素袍、狩衣、彩《あや》あるままに色の影。ことにお珊の黒髪が、一条《ひとすじ》長く、横雲掛けて見えたのである。

       二十

 時に、間《ま》を隔てた、同じ浪屋の表二階に並んだ座敷は、残らず丸官が借り占めて、同じ宗右衛門町に軒を揃えた、両側の揚屋と斉《ひと》しく、毛氈《もうせん》を聯《つら》ねた中に、やがて時刻に、ここを出て、一まず女紅場で列を整え、先立ちの露払い、十人の稚児《ちご》が通り、前囃子《まえばやし》の屋台を挟《さしはさ》んで、そこに、十二人の姫が続く。第五番に、檜扇《ひおうぎ》取って練る約束の、我《おの》がお珊の、市随一の曠《はれ》の姿を見ようため、芸妓《げいこ》、幇間《たいこもち》をずらりと並べて、宵からここに座を構えた。
 が、その座敷もまだ寂寞《ひっそり》して、時々、階子段《はしごだん》、廊下などに、遠い跫音《あしおと》、近く床しき衣摺《きぬずれ》の音のみ聞ゆる。
 お珊は袖を開き、居直って、
「まあな、ほんに夢のようにあろな。私かて、夢かと思う。」
 と、※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]丈《ろうた》けた黛《まゆずみ》、恍惚《うっとり》と、多一の顔を瞻《みまも》りながら、
「けど、何の、何の夢やおへん。たとい夢やかて。……丸官はんの方もな、私が身に替えて、承知させた……三々九度《さかずき》やさかい、ああした我《わが》ままな、好勝手な、朝云うた事は晩に変えやはる人やけど、こればかりは、私が附いているよって、承合《うけお》うて、どないしたかて夢にはせぬ。……あんじょう思うておくんなはれや。
 美津《みい》さん、」
 と娘の前髪に、瞳を返して、
「不思議な御縁やな。ほほ、」
 手を口許に翳《かざ》したが、
「こう
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