しい五色の霧が、冷々《ひやひや》と掛《かか》るようです。……変に凄《すご》いようですぜ。亀が昇天するのかも知れません。板に上ると、その機会《はずみ》に、黒雲を捲起《まきおこ》して、震動雷電……」
「さあ、出掛けよう。」
二人は肩を寒くして、コトコトと橋の中央《なかば》から取って返す。
やがて、渡果《わたりは》てようとした時である。
「ちょっと、ちょっと。」
と背後《うしろ》から、優《やさし》いが張《はり》のある、朗かな、そして幅のある声して呼んだ。何等の仔細《しさい》なしには済むまいと思った半日。それそれ、言わぬ事か、それ言わぬ事か。
袖を合せて、前後《あとさき》に、ト斉《ひと》しく振返ると、洋傘《こうもり》は畳んで、それは奴《やっこ》に持たした。縺毛《もつれげ》一条《ひとすじ》もない黒髪は、取って捌《さば》いたかと思うばかり、痩《やせ》ぎすな、透通るような頬を包んで、正面《まとも》に顔を合せた、襟はさぞ、雪なす咽喉《のど》が細かった。
「手前どもで、」と男衆は如才ない会釈をする。
奴は黙って、片手をその膝のあたりへ下げた。
「そうどす。」と判然《はっきり》云って莞爾《にっこり》する、瞼《まぶた》に薄く色が染まって、類《たぐい》なき紅葉《もみじ》の中の俤《おもかげ》である。
「一遍お待ちやす……思《おもい》を遂げんと気がかりなよって、見ていておくれやす。私《あて》が手伝うさかいな。」
猶予《ためら》いあえず、バチンと蓮《はす》の果《み》の飛ぶ音が響いた。お珊は帯留《おびどめ》の黄金《きん》金具、緑の照々《きらきら》と輝く玉を、烏羽玉《うばたま》の夜の帯から星を手に取るよ、と自魚の指に外ずして、見得もなく、友染《ゆうぜん》を柔《やわらか》な膝なりに、腰をなよなよと汀に低く居て――あたかも腹を空に突張《つッぱ》ってにょいと上げた、藻を押分けた――亀の手に、縋《すが》れよ、引かむ、とすらりと投げた。
帯留は、銀《しろがね》の曇ったような打紐《うちひも》と見えた。
その尖《さき》は水に潜《くぐ》って、亀の子は、ばくりと紐を噛《か》む、ト袖口を軽く袂《たもと》を絞った、小腕《こかいな》白く雪を伸べた。が、重量《おもみ》がかかるか、引く手に幽《かすか》に脈を打つ。その二の腕、顔、襟、頸《うなじ》、膚《はだ》に白い処は云うまでもない、袖、褄《つま》の、艶《えん》に
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