引緊《ひきしま》った身の、拍手《かしわで》も堅く附着《くッつい》たのが、このところまで退出《まかんで》て、やっと掌《たなそこ》の開くを覚えながら、岸に、そのお珊の彳《たたず》んだのを見たのであった。
麩《ふ》でも投げたか、奴《やっこ》と二人で、同じ状《さま》に洋傘《こうもり》を傾けて、熟《じっ》と池の面《おも》を見入っている。
初阪は、不思議な物語に伝える類《たぐい》の、同じ百里の旅人である。天満の橋を渡る時、ふとどこともなく立顕《たちあらわ》れた、世にも凄《すご》いまで美しい婦《おんな》の手から、一通|玉章《たまずさ》を秘めた文箱《ふばこ》を託《ことずか》って来て、ここなる池で、かつて暗示された、別な美人《たおやめ》が受取りに出たような気がしてならぬ。
しかもそれは、途中|互《たがい》にもの言うにさえ、声の疲れた……激しい人の波を泳いで来た、殷賑《いんしん》、心斎橋《しんさいばし》、高麗橋《こうらいばし》と相並ぶ、天満の町筋を徹《とお》してであるにもかかわらず、説き難き一種|寂寞《せきばく》の感が身に迫った。参詣群集《さんけいぐんじゅ》、隙間のない、宮、社《やしろ》の、フトした空地は、こうした水ある処に、思いかけぬ寂しさを、日中《ひなか》は分けて見る事がおりおりある。
ちょうど池の辺《ほとり》には、この時、他に人影も見えなかった。……
橋の上に小児《こども》を連れた乳母が居たが、此方《こなた》から連立って、二人が行掛《ゆきかか》った機会《しお》に、
「さあ、のの様の方へ行こか。」と云って、手を引いて、宮の方《かた》へ徐々《そろそろ》帰った。その状《さま》が、人間界へ立帰るごとくに見えた。
池は小さくて、武蔵野の埴生《はにゅう》の小屋が今あらば、その潦《にわたずみ》ばかりだけれども、深翠《ふかみどり》に萌黄《もえぎ》を累《かさ》ねた、水の古さに藻が暗く、取廻わした石垣も、草は枯れつつ苔《こけ》滑《なめらか》。牡丹《ぼたん》を彫らぬ欄干も、巌《いわお》を削った趣《おもむき》がある。あまつさえ、水底《みなぞこ》に主《ぬし》が棲《す》む……その逸するのを封ずるために、雲に結《ゆわ》えて鉄《くろがね》の網を張り詰めたように、百千の細《こまか》な影が、漣《ささなみ》立《た》って、ふらふらと数知れず、薄黒く池の中に浮いたのは、亀の池の名に負える、水に充満《みちみち》
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