。
「おでんや、おでん!」
「饂飩《うどん》あがんなはらんか、饂飩。」
「煎餅《せんべい》買いなはれ、買いなはれ。」
鮨《すし》の香気《かおり》が芬《ぷん》として、あるが中に、硝子戸越《ガラスどごし》[#「硝子戸越」は底本では「硝戸戸越」]の紅《くれない》は、住吉の浦の鯛、淡路島の蝦《えび》であろう。市場の人の紺足袋に、はらはらと散った青い菜は、皆天王寺の蕪《かぶら》と見た。……頬被《ほおかむり》したお百姓、空籠《からかご》荷《にの》うて行違《ゆきちが》う。
軒より高い競売《せり》もある。
傘《からかさ》さした飴屋《あめや》の前で、奥深い白木の階《きざはし》に、二人まず、帽子を手に取った時であった。――前途《ゆくて》へ、今大鳥居を潜《くぐ》るよと見た、見る目も彩《あや》な、お珊の姿が、それまでは、よわよわと気病《きやみ》の床を小春日和《こはるびより》に、庭下駄がけで、我が別荘の背戸へ出たよう、扱帯《しごき》で褄《つま》取らぬばかりに、日の本の東西にただ二つの市の中を、徐々《しずしず》と拾ったのが、たちまち電《いなずま》のごとく、颯《さっ》と、照々《てらてら》とある円柱《まるばしら》に影を残して、鳥居際から衝《つ》と左へ切れた。
が、目にも留まらぬばかり、掻消《かきけ》すがごとくに見えなくなった。
高く競売屋《せりうりや》が居る、古いが、黒くがっしりした屋根|越《ごし》の其方《そなた》の空、一点の雲もなく、冴《さ》えた水色の隈《くま》なき中に、浅葱《あさぎ》や、樺《かば》や、朱や、青や、色づき初《そ》めた銀杏の梢《こずえ》に、風の戦《そよ》ぐ、と視《なが》めたのは、皆見世ものの立幟《たてのぼり》。
太鼓に、鉦《かね》に、ひしひしと、打寄する跫音《あしおと》の、遠巻きめいて、遥《はるか》に淀川にも響くと聞きしは、誓文払いに出盛る人数《にんず》。お珊も暮るれば練るという、宝の市の夜《よ》をかけた、大阪中の賑《にぎわ》いである。
十五
「御覧なさい、これが亀の池です。」
と云う、男衆の目は、――ここに人を渡すために架《か》けたと云うより、築山《つきやま》の景色に刻んだような、天満宮《てんまんぐう》の境内を左へ入って、池を渡る橋の上で――池は視《み》ないで、向う岸へ外《そ》れた。
階《きざはし》を昇って跪《ひざまず》いた時、言い知らぬ神霊に、
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