頓堀で、別に半鐘を打たなかったから、あれなり、ぐしゃぐしゃと消えたんだろう。
 その婦《おんな》だ、呆れたぐうたらだと思ったが、」
「もし、もし、」
 と男衆が、初阪の袖を、ぐい、と引いた。

       十四

 歩行《ある》くともなく話しながらも、男の足は早かった。と見ると、二人から十四五間、真直《まっすぐ》に見渡す。――狭いが、群集《ぐんじゅ》の夥《おびただ》しい町筋を、斜めに奴《やっこ》を連れて帰る――二個《ふたつ》、前後《あとさき》にすっと並んだ薄色の洋傘《こうもり》は、大輪の芙蓉《ふよう》の太陽《ひ》を浴びて、冷たく輝くがごとくに見えた。
 水打った地《つち》に、裳《もすそ》の綾《あや》の影も射《さ》す、色は四辺《あたり》を払ったのである。
「やあ、居る……」
 と、思わず初阪が声を立てる、ト両側を詰めた屋ごとの店、累《かさな》り合って露店もあり。軒にも、路にも、透間《すきま》のない人立《ひとだち》したが、いずれも言合せたように、その後姿を見送っていたらしいから、一見|赤毛布《あかげっと》のその風采《ふう》で、慌《あわただ》しく(居る、)と云えば、件《くだん》の婦《おんな》に吃驚《びっくり》した事は、往来《ゆきき》の人の、近間なのには残らず分った。
 意気な案内者|大《おおい》に弱って、
「驚いては不可《いけ》ません。天満の青物市です。……それ、真正面《まっしょうめん》に、御鳥居を御覧なさい。」
 はじめて心付くと、先刻《さっき》視《なが》めた城に対して、稜威《みいず》は高し、宮居《みやい》の屋根。雲に連なる甍《いらか》の棟は、玉を刻んだ峰である。
 向って鳥居から町一筋、朝市の済んだあと、日蔽《ひおおい》の葭簀《よしず》を払った、両側の組柱は、鉄橋の木賃に似て、男も婦《おんな》も、折から市人《いちびと》の服装《なり》は皆黒いのに、一ツ鮮麗《あざやか》に行《ゆ》く美人の姿のために、さながら、市松障子の屋台した、菊の花壇のごとくに見えた。
「音に聞いた天満の市へ、突然《いきなり》入ったから驚いたんです。」
「そうでしょう。」
 擦違《すれちが》った人は、初阪《もの》の顔を見て皆|笑《わらい》を含む。
 両人《ふたり》は苦笑した。
「ほっこり、暖《あったか》い、暖い。」
 蒸芋《ふかしいも》の湯気の中に、紺の鯉口《こいぐち》した女房が、ぬっくりと立って呼ぶ
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